HOME   »  中世城郭  »  超図解鉢形城(10) ~ 石積土塁

超図解鉢形城(10) ~ 石積土塁

 鉢形城の第10話です。
IMG_1436.jpg
 門をくぐりました。この公園をきれいに維持するために、猛暑の中、多くの皆様が作業をされていました。

 有り難い限りです。

*上杉憲寛は、関東管領に就任し、権勢を持続できると考えていました。

 一方、家臣団は憲寛を、「前管領の嫡子憲正が成長するまでのツナギ」と考えていました。


IMG_1437.jpg
 土塁の内側に石が積んであります。

*上杉憲正が9歳を迎えると、家臣団は上杉憲寛を追放しました。

 鉢形城の新しい主は、上杉憲正となりました。


IMG_1439.jpg
 調査の結果、川原石が積んであったことが判明し、復元したということです。

*その頃、小田原に本拠を置く北条氏の勢力が大きく伸長してきていました。

 扇谷上杉氏の本拠川越城が、北条氏の手に落ちるという事件が発生しました。


鉢形諏訪
 この図ですと、「秩父郭」手前の土塁の裏側になります。

*これまで反目を繰り返してきた3大勢力「山内上杉」「扇谷上杉」「古河公方」は、反北条の旗印のもとに結集し、川越城を包囲しました。

IMG_1438.jpg
 土塁が屈曲し、「馬出」からの土橋へ、横矢がかけられるようになっているのが見て取れます。

*北条氏康は連合軍を撃破すると、「扇谷上杉」を滅亡させ、「古河公方」を実質的にその支配下に置きました。

 関東のパワーバランスは、大きく北条家に傾きました。


IMG_1440.jpg
 建築物の礎石が見つかった場所です。

*関東管領配下の豪族たちは、次々と北条家へ寝返りました。

 鉢形城に近い藤田氏までもが北条家より養子を迎えるに至り、上杉憲正は鉢形城を維持できなくなり、平井城へ引きました。

(上杉憲正の、鉢形城から平井城への居城変更の時期については諸説あります。)


IMG_1443.jpg
 豊臣勢が鉢形城を囲んだ際、大砲を据えたとの伝説がある車山が見えます。

*鉢形城は、北条家の領国に組み込まれることとなりました。

 「管窺武鑑」には・・・

 藤田右衛門左重利、武州鉢形に住し、用土七郷を切り取り・・・と記載され、鉢形城は藤田氏が携帯していたことをを示唆しています。

 やがて、上杉憲正は平井城を維持できなくなり、北上州の 「石倉館」 へ引きましたが、「石倉館」も維持できなくなり、上杉謙信を頼って越後へ落ちていきました。


IMG_1370_20130926164728a1a.jpg
 荒川の対岸から見上げる「秩父郭」です。左側の高い部分。

 「鉢形城第11話・二郭北馬出」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「埼玉の城」
スポンサーサイト
Comment
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード