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超図解鉢型城(8) ~ 秩父郭付属馬出

 鉢形城の第8話です。

鉢形全体
 このレポートでは、鉢形城の北西部分に位置する「秩父郭」に付属する馬出について説明します。

鉢形諏訪
 アップのイメージ図です。笹郭設置の想定復元立体模型から起こしていますので、破壊された現状とは異なる部分があります。

 攻城兵が「大手口」へ迫った際、「秩父口」から伏兵を出して背後を突くことができる位置関係となっています。

 「秩父口」からの進入路は5度にわたって屈曲し、攻城兵の進入速度を低下せしめ、先の見通しを妨げ、更に常に2方向以上からの攻撃がしかけられるようになっております。

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 前郭の堀はJR八高線の軌道として活用されているようです。

*越後にて自刃した上杉顕定は、山内上杉家当主であり、関東管領でもありました。

 誰かが跡を継がなくては、関東は治まりません。


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 「馬出」土塁の西面を南側から撮影しました。

 上杉顕定には、2人の養子がいました。

◎上杉顕実(あきざね) 古河公方足利成氏の次男

◎上杉憲房(のりふさ) 山内上杉家当主にして関東管領をになった上杉憲実の孫


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 「馬出」土塁の北東の角です。堀がめぐっているのが見て取れます。

*上杉顕定は、公方家との同盟を重視し、生前から顕実を後継に指名していました。

 鉢形城の新しい主は、上杉顕実となりました。


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 「馬出」の入り口です。

*配下の武将たちの中には、長年対立してきた公方家の人間を君主と仰ぐことに、わだかまりを持つ者もいました。

 山内上杉家直系の憲房こそが、管領になるべきだと考える者も少なくありませんでした。


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 「馬出」内には諏訪神社が鎮座し、土塁が現存しています。

*その頃、公方家は、親子、兄弟が権力争いをし、内部分裂状態となっており、他家へ干渉できるような状態ではありませんでした。

 それを見て取った上杉憲房の家臣たちは、憲房にけしかけたのです。

 「今こそ、殿が管領におなりなされ!」


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 「馬出」内から、秩父郭への小口を撮影しました。

 土橋の先に、土塁で挟まれた空間があります。

*憲房がうなずくと、家臣たちは同士を募りました。

 山内上杉直系の管領就任を望む者たちは、鉢形城を包囲しました。

 顕定の死後2年目のことでした。


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 土橋を西側から撮影しました。

 左が「馬出」、中央奥が土橋、手前が堀。右が秩父郭の土塁です。

 右側の後付け舗装路はないものとしてお考えください。

 「鉢形城第9話・秩父郭」へ続く・・・

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