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超図解鉢形城(7) ~ 外郭西

 鉢形城の第7話です。

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 「外郭西」の水堀と土塁です。

*不利を悟った山内顕定は、関東への撤退を開始しますが、長森原(現六日町)にて補足され、大敗を喫し、自刃しました。

 1510年のことでした。


鉢形全体
 「外郭西」の西側の遺構は破壊されているようでした。

*長尾為景は、越後守護と、関東管領を殺した下剋上の寵児として、歴史にその名を刻み、息子上杉謙信が覇権を築く礎となったのでした。

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 「外郭西」の土塁を内部から撮影しました。

*また長尾景春は、山内顕定への援軍を拘束することにより、山内顕定の死へ加担しました。

 1476年に、鉢形城で山内顕定へ叛旗を翻して以来、実に34年の歳月を費やし、長尾景春の復讐劇はここに完結したのでした。


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 「外郭西」内には「鉢形城歴史館」があり、鉢形城のジオラマなどが展示してあります。

 館内は写真撮影禁止です。しかし、申し出て認められれば許可証を下げて撮影することができます。

 撮影した写真は個人の観賞用としてモノので、ネット公開等してはいけません。

*山内顕定が、長尾景春に対する嫉妬を抱かず、これを排斥しなければ、この結末は無かったことでしょう。

 山内顕定が、大田道灌に対する嫉妬を抱かず、上手く用いていれば、関東は20年もの戦乱に巻き込まれることも無かったでしょう。

 山内顕定が、越後へ援軍を求め続けなければ、越後守護家が下剋上に逢うことも無かったでしょう。

 これらの戦乱で、何万の人が死ぬことも避けられたことでしょう。


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 歴史館の北側の一段低くなっている場所です。

 ここから更に下ると、深沢川の渡河地点へと到達いたします。

*山内顕定が、扇谷上杉家を攻撃し続けた為、扇谷上杉家は北条早雲を相模に引き込みました。

 やがて北条家が山内上杉家を関東から放逐することになりますが、北条が関東に進出する要因を作ったのは山内顕定であります。


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 深沢川です。

*山内顕定が、狭量で無く、嫉妬深く無ければ、山内上杉家は安泰を続けることが出来たのではないかと私は思うのです。

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 橋が設置され、「二郭」との行き来が容易になっています。

 見学する上で便利ですね。

 「鉢形城第8話・秩父郭付属馬出」へ続く・・・

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