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超図解鉢形城(6) ~ 外郭食違小口

 鉢形城の第6話です。

IMG_1506.jpg
 「外郭東」に入りました。東側から西側を撮影しています。

*弟を殺された山内顕定は、敵を打つべく、上野、武蔵、相模の兵力を動員し、鉢形城を出陣し越後を目指しました。

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 「外郭東」から北側を撮影しました。

 深沢川を挟んでその先に「御殿下郭」があるはずですが、樹木で良く見えませんね。

*このタイミングで長尾景春が上野白井城に挙兵し、北条早雲が相模への侵攻を開始しました。

 山内顕定の兵が白井城へ迫ると、長尾景春は柏原城へ撤退しました。


鉢形全体
 「外郭」の役割は何でしょう? 

 「二郭」「本郭」へ南側から直接攻撃が加えられないようにする役割。

 兵士の駐屯面積を確保する役割があったものと思われます。

 「秩父郭」や「二郭」の縄張りは、弓矢の時代に千単位の兵士の攻防を想定していますが、「外郭」の縄張りは鉄砲を大量に使用した万単位の兵士の攻防を想定していますね。

*先を急ぐ山内顕定は、上野に「景春対策の兵」を残置せざるを得ませんでした。

 また、「北条早雲対策の兵」も必要なため、越後へ向けた新たな動員は出来ませんでした。


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 「外郭東」内部から見た「食い違い小口」です。

 左側の土塁が破壊され、水堀が埋められているので、食い違い加減がわかりませんね。

*怒りに燃える山内顕定は、そのような状況下でも、越後制圧を強行しました。

 長尾為景は越中へ逃れました。


r1515
 上の写真、右側の土塁から「食い違い小口」を撮影しました。

 皆様の想像の助けになればと、若干の書き加えをさせて頂きました。

*山内顕定は越後の豪族たちに対して、過酷な仕置きを行った為、越後には怨嗟の声が満ちました。

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 土塁上から水掘跡を撮影しました。

*長尾為景が越後に帰国すると、越後の豪族たちは長尾為景のもとに集結し、山内顕定は孤立しました。 

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 「食い違い小口」を背に、北側を撮影しました。進入した攻城兵の行動を制約すべく、北側から堀が食い込んでいます。

 さすが北条、芸が細かいですね。

*長尾景春対策と北条早雲対策の為、関東からの援軍は期待できない状況でした。

IMG_1510_20130926140519c4b.jpg
 先ほどの写真の撮影位置から、西側を撮影しました。奥の方で右側から林が食い込んでいるのが見えますね。林のラインで右側へ急激に落ち込んでおり、郭間の行き来を制限しています。

 その奥は「外郭西」です。

 「鉢形城第7話・外郭西」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「埼玉の城」
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