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超図解鉢形城(5) ~ 外郭付属馬出

 鉢形城の第5話です。

鉢形全体
 このレポートでは、「外郭東」の東側に付属している「馬出」について説明します。

鉢形笹郭
 アップのイメージ図です。笹郭に設置されている想定復元立体模型から起こしています。

 破壊された現状とは一致しない部分もあります。

IMG_1487_20130926130351b49.jpg
 深沢川です。右側が「笹郭」、左側が「馬出」という位置関係になります。

*山内顕定は、敵対していた古河公方へすりよりました。

 「公方殿。定正のいない扇谷家はもうおしまいです。そんな扇谷家と連合していると、公方家の家運も傾きかねませんぞ・・・」


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 先ほどの写真よりちょと下流側の写真です。この写真の方が渓谷のエグレ具合がよくわかりますね。

*公方家を味方に引き入れた山内顕定は、実家の越後からも援軍を呼び込み、扇谷朝良への攻勢を続けました。

 川越城に追い詰められた扇谷朝良はついに屈服することとなりました。

 1505年のことでした。


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 北東側から見た「馬出」の塁壁です。手前の家は堀を埋めて作られたようですね。

*関東に平和が訪れ、山内顕定は自らの虚栄心を満たすことが出来ました。

 しかし、その陰でその代償を求める乱の芽が育ち始めていたのでした。


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 先ほどの塁壁を側面から撮影しました。

*山内顕定は、実家の越後守護上杉家へ、援軍を求め続け、守護上杉家はそのたびに配下の豪族へ動員をかけ続けました。

 それは20年以上も続きました。


IMG_1500.jpg
 「馬出」です。広いですね。豊臣秀吉来襲に備えた戦国末期の普請であると思われます。

*越後の豪族にとっては大迷惑でした。

 いくら頑張っても自分の領地が増えるわけではない。

 遠征の費用は自腹、戦死者も出る・・・・

 それがたまになら仕方が無いけど、これだけ続くとやってられないよ・・・ 


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 「馬出」と「場外」を隔てる南側の堀です。だいぶ埋まってしまっていますが、僅かなへこみでも残っていると嬉しいものです。

 左が「馬出」、右が「城外」です。

*豪族達の不満は、越後守護上杉家へ向けられました。

 その不満を利用して立ちあがったのが、上杉謙信の父「長尾為景」でした。


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 「馬出」と「外郭東」を隔てる堀です。

 右が「馬出」、中央が堀、堀の奥が土橋、左が「外郭東」です。

*長尾為景は、関東管領顕定の弟であり、越後守護である上杉房能を攻め殺してしまいました。

 1507年のことでした。

 この事件は、関東を再び戦乱の渦に叩きこむことになります。


IMG_1505_20130926133318c51.jpg
 「外郭東」から見た「馬出」です。

 「鉢形城第6話・外郭食違小口」へ続く・・・

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