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超図解鉢形城(3) ~ 大手口

 鉢形城の第3話です。

 この回は、「泉水口」から「大手」へ至るルートの解説です。

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 「泉水口」から北側を撮影しました。

 左側が「大光寺郭」、正面の林が堀、その右側が「大手郭」です。

*短慮な扇谷定正は、山内顕定の悪知恵にまんまと乗せられてしまいました。

 扇谷定正は、太田道灌を謀殺してしまったのです。


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 「大光寺郭」内を北に向かい。「大手郭」の南端を撮影しました。

 笹郭設置立体模型ではここに木橋がかけられていたと想像しています。

*扇谷上杉家は大混乱に陥りました。

 家の窮地を救った忠臣を、何の罪もないのに殺してしまったのです。

 家臣たちは思いました。こんな主君の下にいては、自分も何時同じような目にあうかもしれない。

 そんなの嫌だ・・・


鉢形逸見
 「大手郭」の南側が二段になっているのは、木橋を渡った攻城兵をして、下の段を通過せしめ、上の段からの攻撃にさらす、防御思想であったと考えられます。

*何人かの家臣たちは、扇谷上杉家を去り、山内上杉家を頼りました。

 太田道灌の功績で隆盛を極めた扇谷上杉家の勢力は急速にしぼんでしまったのです。


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 今度は北側から堀越しに「大手郭」を撮影しました。

 このあたりの堀幅は10メートル以上あり、大迫力です。

*山内顕定は、また、悪知恵を働かせました。

 「この期に乗じて扇谷定正を滅ぼしてしまえば、西関東はオレの独壇場だ!」

 山内顕定は、扇谷定正と同盟する豪族の領国へ攻めかかりました。

 関東を20年の長きにわたり戦乱の渦に巻き込んだ「長享の乱」の始まりです。


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 「大手」の土橋が見えてきました。

*短慮で人の良い扇谷定正はこのときはじめて気が付きました。

 「 だ ま さ れ た ・ ・ ・ 」

 戦となれば頼れる家臣・・・「道灌を呼べ! いや、道灌は私がこの手で・・・」

 「顕定め! 許さん!」


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 「大手」土橋を正面から撮影しました。

 通路を屈曲させ、攻城兵の侵入速度を低下せしめ、横矢をかける工夫がなされています。

*扇谷定正は、攻めよせた山内顕定軍を実蒔原で撃破すると、長年敵対していた古河公方、そして長尾景春と和睦し陣営を強化しました。

 1488年2月のことでした。


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 土橋上から西側の堀を撮影しました。

*山内顕定は、同年6月、扇谷定正の川越城を攻めようと、鉢形城を出陣。

 扇谷定正は、古河公方と長尾景春の援軍と共に、鉢形城へ向けて進軍を開始したのでした。


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 土橋上から東側の堀「三角池」を撮影しました。

 攻城兵の数がいかに多かろうとも、この土橋を少人数で突破する以外、先へ進むことはできません。

 「鉢形城第3話・逸見郭」へ続く・・・

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