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超図解鉢形城(1) ~ 叛鬼立つ

 みなさんこんにちわ。中世城閣愛好家土の城派、武蔵の五遁です。

 平成25年9月10日には、武蔵鉢形城へ行って参りました。

鉢型アク

 埼玉県大里郡寄居町鉢形、東武東上線寄居駅&JR八高線寄居駅南方約1キロにあり、「日本100名城」にも指定されていることから、ほとんどの地図に記載されています。

 自宅から近い城で、10度以上訪問していながら「破壊が進み、縄張りが良く理解できない」「規模が大きすぎて、私の描写力を超えている」といった理由から、レポートに取り組んできませんでした。

 いつまでも逃げ続けるわけにはいかないので、今回、性根を据えて、レポートすることといたしました。

鉢形全体
 鉢形城の復元想定図はいくつもあり、また、それらは相互に矛盾している部分もあり、どれを採用するか悩みましたが、笹郭に設置されている立体模型が、自分の中ではしっくりきましたので、その立体模型から起こしました。

*鉢形城の創設は、長尾景春によるものとされています。

 長尾景春は、伊東潤著「叛鬼」の主人公で、関東管領山内上杉顕定への抵抗を続け、下剋上のはしりとなった人物です。


 長尾景春の頃の城域は本郭程度で、その後、荒川沿いに拡張が続けられ、秀吉の来攻に備えて、外郭が拡張されたのだと思われます。

鉢形逸見
 鉢形城は広大であり、「全体イメージ図」では細かいところを省略して描写せざるを得ません。そこで、パーツごとにイメージ図を作成して解説させて頂きます。

 地形の制限から、攻城側のメインの攻め口はここからにならざるを得ない、北西方向のイメージ図です。

 城のパーツで先人が名前をつけていない部分は私が勝手に名前をつけました。

 「大光寺口」へは、「大手郭」からの横矢がかかっています。

 「大手」へは、「秩父郭」からの横矢がかかっています。

 「大手」の背後には「秩父郭付属馬出」からの出撃路があり、「大手」へ迫る攻城兵の背後を突くことが出来ます。

 さすが武田と並ぶ「土の城の王者」北条の縄張りですね。

IMG_1377_20130925074016c13.jpg
 「大光寺郭」の北西端には、JR八高線が貫通しています。

 写真右側、スチールの箱から奥の家へ向けて堀が伸びています。

*長尾景春は、関東管領山内上杉家の家宰「白井長尾家」の嫡男でした。

 長尾景春は、父の死後、「白井長尾家」を継ぐのは自分であると考えていました。

 周囲のだれもが、そう思っていました。


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 堀のアップです。左側が「大光寺郭」です。

*しかし、時の関東管領上杉顕定は、狭量で嫉妬深く、悪知恵の働く人でした。

 上杉顕定は、長尾景春の声望を恐れ、足を引っ張ろうとタクラミマシタ。

 「白井長尾家」の相続に横やりを入れ、景春を排除して、叔父に継がせたのでした。


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 先ほどの堀を反対方向から撮影しました。

 今度は右側が「大光寺郭」です。

*長尾景春は、理不尽な仕打ちを、甘んじて耐え忍ぶようなヤワな人物ではありませんでした。

 管領顕定の専横をこころよく思わない豪族衆に激を飛ばし、鉢形城に挙兵しました。

 1476年のことでした。


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 「大光寺郭」西側の堀は藪が著しく遺構の観察は難しい状態でした。

 左側が郭内です。

*当時、関東の西側が関東管領の勢力範囲で、東側が古河公方の勢力範囲で、両者は対立していました。

 管領上杉顕定は、現在の本庄市の五十子に陣を構え、古河公方勢力と対峙していました。


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 「大光寺口」には、現在道路が貫通しています。

 「大光寺口」から、堀越しに「大手郭」を撮影しました。横矢がかけられる距離であることがわかります。

*長尾景春は、鉢形城から五十子陣の糧道を絶ち、管領顕定勢を四散させました。

 彼の蜂起は成就するかに見えました。

 しかし、彼にとっての一番の不幸は、同じ時代、同じ地域に「稀代の名将太田道灌」が存在していたということでした。


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 「大光寺郭」の南側から、北西方向を撮影しました。奥の林は「大手郭」です。

 「鉢形城第2話・弁天社の池」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「埼玉の城」
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Comment
Re: 今後のリポートが楽しみです!
Butch様 御来訪ありがとうございます。

 先ほど秋田から帰って参りました。

 さてさて、悪天には勝てませんね。護応土城は後日のお楽しみですね。

 浄法寺城へ行かれましたか! 有難うございます。

 郭の広さ、堀幅の広さとも、なんじゃこりゃ?ですねよね・・・

 これだけの城が無名なのが残念です。

 三戸南部による、「浄法寺氏に関する歴史の隠滅工作」が現代にも及んでいるということです。

 秋田県鹿角郡には、浄法寺城までは行かないですけれど、広大な城が50以上あり、その密集度は東日本ににおいて群を抜いています。

 昨日の夕方と、今日の早朝にまた、踏査してきました。

 この地方は、堀幅20メートルが当たり前なんですよね~

> 鉢形城ですが自分は復元、未整備、破壊のバランス・ギャップが顕著であまり好みの城ではないのですが・・・・ ⇒同感でした。しかし、笹郭設置の復元予想立体模型を念頭に踏査すると、いろいろと見えてくるものがありました。その見えてきたものをお伝えしたく頑張ってみました。

 御坂城は天下茶屋から登りました。

 堀、堀、堀・・・ 見事な堀達と、造りかけの郭のギャップが、哀愁をそそりますね。

 秋田への行き帰りの新幹線の車内で、御坂城お絵かきがようやく終了しました。

 広いので御坂城だけで、6枚も描く羽目になってしまいました。

 皆様に喜んで頂けるレポートになると良いのですが・・・

 またの御来訪、お待ちしております。
宿命のライバル
丸馬出様 ご来訪有り難うございます。
 どうかんさんと、景春さんは、ライバルですよね。
 景春さんは、コテンパンにやられてしまいましたが、決して屈しはしなかったですね。
 さて、例の城ですが.
 身内に不幸があり、葬儀だ、墓だ、位牌だ、相続だと、やることが山と降りかかってきて、未だに行けておりません。このお返事も秋田からです。
 雪が降る前に行きたいとはおもっているのですが、、、
今後のリポートが楽しみです!
こんにちは、本日は悔しい思いをされている皆様も多くいらっしゃると思いますが、当方も護応土訪城を中止せざるえず、こうなったら当日仮病欠勤しかないと(笑) 鹿角郡のリポート色々と勉強になりました、北東北の訪城は少ないのですが(記事を参考にさせていただき浄法寺城行きました)三戸、九戸等々現在の周辺町村の様子からは、あの広大さには異様さを感じてしまいます、人口数百の村に巨大コミュニティー・センターを造ってしまう感覚なのかな~
と? 鉢形城ですが自分は復元、未整備、破壊のバランス・ギャップが顕著であまり好みの城ではないのですが渾身のリポート期待大です。 そして御坂城!大好きな要塞です、天下茶屋から行かれたのかな~?(笑)自分は三つ峠の旧道から登っています(楽)こちらのリポートも非常に楽しみです!!それではまたお邪魔させていただきます、失礼します。
名将たれば
上杉さん、名将だったら
太田道灌、長尾景春を存分に働かせて
北条氏の台頭を阻止することが
できたかもしれませんね。
それにしても、
同時代にライバルが出現するのは
歴史のいたずらではなくて宿命のような
気がしてしまいました。

ところで、例のお城はいかれましたか?
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