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埼玉県徳林寺 ~ 入間川御陣推定地

 平成25年9月15日、徳林寺へ行ってきました。

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 鎌倉時代、幕府は関東地方の交通を円滑にするため「鎌倉街道」を整備しました。

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 その鎌倉街道を使用して、新田義貞は討幕の兵を進めました。

 いい表情をしていますね。

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 鎌倉街道沿いに館を構えた有力豪族もいました。

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 関東管領が一時本拠としたこの城も、鎌倉街道沿いにあります。

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 その鎌倉街道が入間川とクロスする位置に、徳林寺があります。

 徳林寺は、入間川御陣の推定地であります。

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 徳林寺の山門です。

 西武新宿線狭山市駅北西約300メートルにあります。

*鎌倉時代初期、足利尊氏は弟の直義を殺害し、権力を固めました。

 足利尊氏は南朝派や直義派の残党の動きを押さえる重しとして、子の基氏を関東に置き、畠山国清に補佐させました。

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 お堂です。

*本拠を鎌倉に置いていては、反乱勢力の蜂起へ迅速に対応できないため、入間川南岸にまで本拠を進めました。

 足利基氏の住まいは「入間川御陣」もしくは「入間川御所」と呼ばれました。


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 徳林寺お堂の北側には河岸段丘の要害地形があります。

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 段丘上には、徳林寺観音堂があり・・・

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 大きな仏様が鎮座されています。

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 観音堂から、狭山市立図書館にかけての一帯は、四方が切り立ち防御に適しています。

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 観音堂から北側を見下ろしました。

 写真には写っていませんが、ここから400メートルには入間川が流れており、天然の堀としていたようです。

*関東が治まると、足利基氏は本拠を鎌倉へ移し、入間川御陣はその使命を終えました。


 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「史跡などの部屋」
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