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秋田県長年寺 ~ 九戸の子孫が建立

 平成25年8月長年寺に行ってきました。

 秋田県鹿角市花輪上花輪にあります。

DSCF1982.jpg
 鹿角郡の中心地花輪宿と花輪館のすぐ南にあります。

DSCF1983.jpg
 以下、客観性に欠ける訳文を・・・ お聞き捨て下さい・・・

 足利幕府の時代、つまり、室町時代ですね。加賀宗徳寺のお坊さんが布教の為、奥羽へ赴き、九戸南部家の庇護を受け、九戸村で長興寺の開祖となった。

 戦国末期、三戸南部は家督相続をめぐり、同族間の暗殺等混乱が続き、九戸南部氏と不和になった。

 九戸南部政実は、善政を求める同族や協力豪族の声を受け、ついに立ちあがった。九戸南部政実への支援はまたたく間に広がり、三戸南部は滅亡必至の事態となった。

DSCF1984.jpg
 事ここに至り、三戸南部氏は豊臣政権に支援を求めた。

 九戸南部政実の弟康実は幼少より三戸南部へ仕えていて、中野康実と名乗っていた。

 弟康実は、三戸南部の命を受け、豊臣軍の道案内を務めた。

 数万の豊臣軍が九戸城を囲んだ。九戸城の周辺は5千程であった。

 三戸南部は、長興寺の薩天和尚を使者に立て「城を明け渡せば、城兵の命は助ける」と開城を勧告した。

 九戸政実はこれを受け、城を開いたが、待っていたのはなで斬り(一人残さず殺す)の処置だった。


 戦後三戸南部は、弟康実へ「良く働いた! 褒美をくれてやろう」と言った。

 弟康実はこれを拒絶し、兄政実の遺骸を長興寺へ篤く葬った。

DSCF1985.jpg
 弟康実のひ孫、中野康敬は花輪城代に抜擢された。

 中野康敬は、花輪城下に長年寺を建立し、中野家創始康実の位牌を移した。

 この経緯は、只今、この解説版を見て初めて知りました。

 九戸家の子孫が、家名を変えて存続していたのですね・・・・

DSCF1977.jpg
 境内には、「花輪南館の時鐘」の表示があります。

DSCF1979.jpg
 中野康実の菩提を弔うため、鐘を鳴らしたのでしょうか

DSCF1980.jpg
 アップの写真です。

DSCF1981.jpg
 お堂の写真でお別れです。 

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「史跡などの部屋」
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