FC2ブログ
HOME   »  中世城郭  »  護応土城(4) ~ 水の手残存

護応土城(4) ~ 水の手残存

 護応土城の第4話です。

護応北
 北から見たイメージ図です。

 雷鳴が近づく中で、急いでスケッチしたので細部に自信がありません。ムードだけ感じ取って下さい。

 北側には、広い廓がたくさんありますが、図の一番左側の尾根を登っていくと、簡単に本郭へ到達できてしまいます。防御思想が古いということでしょうか?

IMG_1069_20130801164859a3c.jpg
 「北三郭」です。

IMG_1070_20130801165124101.jpg
 「北三郭」から「水の手」を見下ろしました。木の陰に白い看板が立っています。

IMG_1067_2013080116541465d.jpg
 「水の手」です。谷を更に掘り込んで、水がたまりやすいように加工していることがうかがえます。

IMG_1068.jpg
 「水の手」から下に、谷が降りています。

IMG_1064_20130801165800596.jpg
 「北七郭」です。

IMG_1065_201308011658469c7.jpg
 「北七郭」から「水の手」へ続く道です。

IMG_1063_20130801170019f89.jpg
 「北二郭」です。

IMG_1062_20130801170124e36.jpg
 「北二郭」から見上げた「本郭」の塁壁です。

 「護応土城第5話・謎のクネクネ堀」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「静岡の城」
スポンサーサイト



Comment
Re: 初めまして
Butch様御来訪ありがとうございます。

 悪天の時などは平城スタンプラリーをするときもありますが、基本は縄張りの意味を考えたいタイプなので、時間をかけてスケッチをしながらまわっています。御覧頂けてとてもうれしいです。
 棚下の砦へ行かれましたか? 三日月堀と利根川の展望が見事ですよね。
 さて、この城は「ごおうど」と読むようです。
 個人的には、「南朝の天皇=王様を護る土地」という意味の「護王土」であったのではないかと推測します。しかし、北朝により制圧され、北朝が当て字をして表記を変えたのではないかと・・・妄想です。
 「富士城」の地名の由来については、調べたのですが何も出てきません。
 妄想ですが、南朝方土豪のトップたちは殺されたり、この地を去ったりして没落したようですが、その親戚だったり、家臣だったりはこの地に残ったのだと思います。北朝をはばかり「護王土」の地名は捨てるしかなかった。しかし、この地に城が築かれていた、先祖が誇りをかけて戦った場所なんだということを忘れぬよう地名に「城」だけは残したのではないかと・・・
 勉強不足であまりお返事になっていない部分が多く申し訳ありません。
 今後ともご覧いただければ、大変有り難く存じます。では・・・
初めまして
初めまして、いつも楽しく拝見させて頂いています、駆け足訪城ではなく一城一城じっくりのリポート素敵です&度々お世話になっています、群馬の棚下砦などおかげさまでやっとたどり着く事が出来ました。 今回の物件は非常に興味をそそられます、「護応土」は何と読むのでしょうか?また標識の「富士城」は別称なのでしょうか?教えていたたげると助かります。 それでは 今後もご活躍を! 失礼しました。
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード