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上野三ツ木城 ~ 平井城北方の守り

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。

三ツ木アク
 平成25年7月6日、お城仲間のMさんと三ツ木城に行ってきました。

 群馬県藤岡市三ツ木にあります。

212_20130716133604.jpg
 県道174号沿いにある「三ツ木公会堂」が目印です。

 看板の「ツ」の字が小さいのと、極小公民館サイズの建物なのに「公会堂」を名乗る不遜さが、私のツボです。

三ツ木
 北側から見たイメージ図です。

 三ツ木城は破壊が著しいため、現地解説版掲示図面から起こしました。

 往時はこの様な構えであったようです。

211_20130716133936.jpg
 二郭南方の残存土塁と思われる場所です。

210_20130716134251.jpg
 二郭東方です。南側から撮影しました。

 建物のあるあたりが二郭で、右側の草むらが堀であったようです。

 右側の草むらは、ずいぶんと前に訪問した際は水田と水路であった記憶しています。

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 先ほどと同じ場所を北側から撮影しました。水路がありますね。

203_20130716134847.jpg
 本郭には、神社が鎮座しています。

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 豊受神社ですね。

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 本郭は意外に広く、児童遊園も内包しています。

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 現地解説版によりますと文明年間(1467年~1487年)に、三ツ木信守が在城し、平井城北方の守りを固めたということです。

 また、城に接して鎌倉街道が南北に通過し、陸上交通を掌握する要衝であったそうです。

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 神社の南側には、参道が切り開かれていますが、後世のものであるようです。

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 本郭から南側を撮影しました。

 参道をはさんで向こう側の方が高くなっています。

 個人宅なので確認できませんが、向こう側が本郭の土塁であったと思われます。

201p.jpg
 本郭北側の塁壁です。往時はここを鏑川が洗い、水運を掌握する役目があったのかもしれません。

*1477年には、長尾景春の乱が勃発し、平井城の関東管領上杉憲正は度々危機に瀕していますので、三ツ木城の役割も重要であったと思われます。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「群馬の城」
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