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栃木県櫃沢城 ~ 小山義政公自刃!

 みなさん、こんにちは。

 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。

 平成21年1月4日に、櫃沢城にたどりつきました。

粕尾アク

 櫃沢城は、栃木県鹿沼市粕尾にありました。

 

 南北朝期、下野(栃木県)の守護だった小山義政公・・・

 しかし、故あって、小山義政公は、鎌倉府に対して3度も反旗をヒルガエシ、最後は櫃沢城に追い詰められて自刃された・・・

 日本城郭体系によると、櫃沢城の場所は特定できていないとのことでしたが・・・

 反骨の武将、小山義政公の自刃の地を求めて・・・

 

 平成20年12月28日、平成21年1月2日、同1月4日と、山中を徘徊し、ようやくたどり着くことが出来ました。

 

 粕尾城で、3度目の蜂起をした小山義政公ですが・・・

 粕尾城は広大な敷地を持ち、多数の兵を擁しなければ守ることが出来ません。

 しかし、集まった兵は、ごく、僅か・・・

 

 ここまでは諸説の一致するところです。

 

 その後については、諸説乱立で、浅学の私にはどれを信じて良いのか?

 

 そこで、代表的な2説を基に探索をしました。

 

1 北方台地説

 小山義政公は、粕尾城居館での防衛をあきらめ、粕尾城寺窪郭に移って防戦するも、支えきれず、北方の台地に位置する櫃沢城へ移り、抗戦、嫡子逃亡の時を稼ぎ、自刃・・・

 この説に基づき周囲の峰峰をくまなく踏査しました。

 

IMG_1062.jpg

 北方台地説に符合する場所はここです。北と南を沢の断崖に頼り、東が山、西は、4段の切岸に守られています。しかし、切岸の現状を見ると近世の段々畑とも思えます。

 中腹に近年切り開かれた車道・・・ 掘削の断面を見ると、焼土層が見られました・・・ 櫃沢城落城時のものでは・・・ との、可能性も捨てることは出来ません。

 

2 粕尾城対岸説

 粕尾城での篭城をアキラメタ小山義政公は、思川対岸の寺窪城に移り、抗戦、翌日、櫃沢城に移り抗戦するも、力尽き、自刃!

 

 この説に基づき対岸を踏査すると、河岸段丘上に、兵500もあればそこそこ守れそうな場所を発見しました。寺窪城か?!

 そして、更にその奥へ進むと、背後を断崖に頼り、少兵で抵抗できる場所を発見、こここそが櫃沢城であると確信しました。更に更に進むと「小山義政自刃の地」の表示が・・・

 

IMG_1064.jpg

      まず、思川を渡ります。往時と流路がかなり変わっていると思われます。

 

m_20100220095647.jpg

 イメージ図を作成しました。

 寺窪城について・・・

 ①は、出郭と呼ぶべきでしょうか? 攻め手はまず、ここを制圧しなければ、先に進めません。

 ①を制圧して進むと、②からの攻撃にさらされます、更に小口に進むと、②と③との挟撃にあいます。

 城内に侵入しても③と④からの攻撃にさらされます。

 本郭に侵入するには、④と⑤からの挟撃を突破せねばなりません。

 実に練りこまれた防御構想です。

 

 500程度の兵で、寺窪城に篭った小山義政公ですが、鎌倉軍は多分数千・・・

 1日の攻防で、兵は200程まで減り、寺窪城の維持も困難に・・・

 そこで目の前の・・・ より少ない兵で抵抗できる櫃沢城に移り、最後のひと華を・・・

 理にかなっています!!!

 

 この地には、粕尾城、寺窪城、櫃沢城が密集しています。

 小山義政公に、せめて5000の兵があれば・・・

 粕尾城に攻めかかる鎌倉公方軍の背後を、寺窪城兵が突く・・・

 寺窪城に攻めかかる鎌倉公方軍の背後を・・・・ てな、具合に存分の戦いが出来たことでしょう。本来の防御構想は、3城一体だったと思います。

 

IMG_1065.jpg

         左手前、①の出郭、奥中央が、②と③に挟撃される小口です。

 

IMG_1067.jpg

 寺窪城の郭と推察する場所です。 IMG_1083.jpg

                 寺窪城方向から見た、櫃沢城です。

 寺窪城と、櫃沢城の間は、現在平地となっています。これでは、櫃沢城は、要害とは言えません。

 背後の山を探索すると、寺窪城と櫃沢城の間の平地の背後には、大規模な沢が山奥まで続いていました。つまり、往時は、寺窪城と櫃沢城の間には深い沢谷があったと思われます。谷は近年、農地開発のために埋められたものと思われます。

 櫃沢城は、背後を思川の断崖、前面を大きな谷によって守られていたことになります。

 

IMG_1076.jpg

       櫃沢城を、背後の尾根と遮断している沢? 堀切? この深さは沢でしょう。

 

IMG_1075.jpg

     右側が櫃沢城の現状中途半端な切岸・・・ 

     往時は写真の左半分が深い沢だった・・・

     奥の山容から歴然です。

 

IMG_1070.jpg

       この標識を見つけたときには、非常に複雑な気持ちになりました・・・

 

 こんなものが無くても、オレはここが櫃沢城だと確信してた・・・

 

 確信してたけど・・・ それが第三者によって裏打ちされて安心・・・

 

 でも・・・ そもそも・・・ この標識があるのにネット上に櫃沢城の情報が皆無なのは何故・・・

 

 疑問は尽きず・・・ 気持ちも整理できませんが・・・

 

 櫃沢城に更なる、詰城がある可能性を考え合わせ、背後の峰々を2時間徘徊しました。それらしきものは、見当たりませんでした。

 やはり、この場所が、this is the end の場所だと思われます。

 

IMG_1071.jpg

                    本郭と思われる最高所です。

 

          本郭から背後を見下ろしました・・・ ほぼ垂直の断崖です・・・

 

 小山義政公がこの場で自刃されたのは、1382年のことでした・・・

 

 600年以上の時を越え、小山義政公と私が同じ景色を眺める不思議・・・

 

 ホームページ「土の城への衝動」 http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

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