FC2ブログ
HOME   »  中世城郭  »  上野茶臼山城(3) ~新田義重居城

上野茶臼山城(3) ~新田義重居城

 茶臼山城の第3話です。

041_20130715144902.jpg
 現地解説版です。

 鎌倉時代は新田義重の城であったと記されています。

*新田義重は、河内源氏から派生し、この地に威を張った新田氏の祖であるということです。

 由緒あるお城なんですね。

茶臼山
 東側から見たイメージ図です。

 この構造は戦国期の改修を物語っており、長期にわたって使用されていたようです。

*南北朝時代の城主は、新田義貞の弟、脇屋義助であるそうです。

 脇屋義助は、後醍醐天皇を支えるため上方へ行きましたが1342年に遠征先で病没したということです。

045_20130715145758.jpg
 北側から、「北郭」の塁壁を撮影しました。

*1358年、新田義興は関東の南朝方を集結させ、鎌倉を目指しましたが、多摩川の渡しで忙殺され、新田一族は越後へ逃れることとなりました。

046_20130715145930.jpg
 同じく「北郭」の塁壁ですが、今度は東側です。通路が設定されています。

*その後の1428年ごろには、和田小太郎が城を再興したようです。

047_20130715150110.jpg
 「北郭」です。土塁と見る向きもありますが、広いところでは幅が3メートル以上あり、郭であると感じました。

*和田氏は、関東管領山内上杉氏の配下でありました。

048_20130715150301.jpg
 右が「北郭」、中央が堀、左が「本郭」の塁壁です。

*1552年に関東管領上杉憲正が、本拠平井城を捨てて越後へ落ちのびると、和田氏は北条氏の傘下となりました。

049_20130715150438.jpg
 堀底から、「本郭」を見上げました。

*1561年、上杉謙信が、上杉憲政を奉じて関東を席巻すると、和田氏はこれに従いました。

 謙信に従った武将名簿「関東幕注文」に「箕輪衆和田八郎」と記されています。

 和田氏は、箕輪城主長野氏の配下に組み込まれていたことがわかります。

050_20130715150900.jpg
 堀底の東側には「井戸跡」があり、窪んでいます。

 しかし、その後武田信玄が上野への侵攻を繰り返し、1565年、箕輪城は落城し、長野氏は滅亡・・・

 和田氏は、武田家の傘下となりました。

051_20130715151130.jpg
 「井戸跡」から南側を撮影しました。

 左が「東帯郭」、右が「本郭」の塁壁です。

 「茶臼山城第4話・戦国期折り坂小口」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「群馬の城」
スポンサーサイト



Comment
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード