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木部北城 ~ 長野業政の婿

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成25年7月6日、お城仲間のMさんと木部北城に行ってきました。
 群馬県高崎市阿久津町にあります。

木部山名アク@
 まずは、おおまかな地図です。「木部城」の北側に「木部北城」があります。

木部アク
 詳しい地図です。玄頂寺とその周辺が城域であったようです。

180_20130711160113.jpg
 玄頂寺の入り口です。車で進入することができます、車を停めることもできます。

172_20130711160317.jpg
 境内に土塁が残存しています。

*木部北城は、木部氏の城です。木部氏の出自には諸説あり、定かではありません。

 1561年、上杉謙信が関東を席巻した際に、傘下に加わった武将を記した「関東幕注文」に木部氏の名は記されていません。

174_20130711160421.jpg
 残存遺構はこの数メートルの土塁だけですので、裏側からも土塁を撮影しました。

*その後、謙信配下となった箕輪城主長野業政四女の婿として、木部範虎の名が見られます。

 上杉謙信はこのころまだ、景虎を名乗っており、景虎が木部範虎に一字を与えたと推察されます。

 つまり、「謙信の関東席巻時には木部氏は有力武将ではなかったか、この地にいなかった。

 謙信の関東席巻後、謙信の推薦を受けた木部範虎が、長野家の婿となり、長野家を支える立場となった」と思われます。

175_20130711160750.jpg
 他に塁壁を夢想させる僅かな段差がありましたが、城郭遺構であるかは定かではありません。

176_20130711160915.jpg
 境内には、南北朝時代の五輪塔があるとのことです。

177_20130711161041.jpg
 五輪塔を作成できるということは、この地は古くから豊かな地であったということですね。

178.jpg
 これも残存土塁でしょうか?

179.jpg
 玄頂寺のお堂の写真でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「群馬の城」
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