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久川城(9) ~ 城暦22年

 久川城の最終話です。

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 二ノ丸にはいりました。

久川搦手図
 二ノ丸と本丸をつなぐ小口はありません。二ノ丸から一旦出で、手前の通路を進んで本丸小口を目指すことになります。このあたりでは反撃よりも、防御中心に考えた造りになっていますね。

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 二ノ丸から本丸の土塁を撮影しました。

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 上の写真の土塁の下には、堀がうがたれています。

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 二ノ丸を出て、左に本丸土塁を見ながら、本丸小口を目指す道です。

*1598年、会津は上杉景勝に与えられました。しかし、1600年には関ヶ原の戦いが生じ、西軍についた上杉景勝は会津を没収されました。

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 この道からは城下を流れる、伊南川を見おろすことが出来ます。天然の堀となっていたようです。

*この地は再び蒲生家に与えられましたが、戦乱の世は終わりをつげ、1611年、久川城は廃城となったとのことです。

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 本丸です。

*久川城の存続は僅か22年であったことになります。

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 伊南川対岸から見た、久川城の遠景でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「東北の城」
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Comment
Re: 力作でしたね
丸馬出様 御来訪ありがとうございます。

 久川城を訪問した際は、季節がら虫が多くて閉口しました。

 一瞬でも立ち止まると、集中攻撃に逢うので、落ち着いて
遺構を観察できませんでした。

 それでも見た範囲では、本丸と二の丸を直接連絡する通路
は見当たりませんでしたので、平時に木橋をかけ、戦時には
取り外していたのかもしれませんね。

 背後の削り残しの尾根は、それなりに幅がありました。

 攻城兵に尾根をとられたら、下の郭は無力化しますので、
戦時は兵を置き、指揮官が采配をしたかもしれませんね。
力作でしたね
久川城の縄張り図はとてもよくできていて
感心してしまいました。私が今までに見た
図面の中では一番できがいいとおもいますよ。

ところで、二の丸の退路なんですが、
本丸の櫓台のすぐそばあたりに二の丸から
木橋があったんじゃないかなとおもっていますが
どうおもわれますか?
それと、本丸と二の丸の
背後の高い塁壁は天主の役目を持っていた
のかなあなんて妄想しています。
ともあれ、素晴らしい記事でよかったです。
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