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石倉館 ~ 関東管領零落

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成25年4月7日、お城仲間のMさんと石倉館に行ってきました。

石倉館アクセス
 群馬県利根郡みなかみ町石倉にあります。

 石倉城は国道沿いに案内板がありますが、石倉館の案内板はありません。

 国道291号と、県道279号が交わる交差点のすぐ北に、国道291号から東へ狭い道が伸びています。

 坂を下ると分岐があり、左の道を選び、田んぼと畑の道をつきあたりまで進みます。

 図面を書いてみましたが、竹やぶで全体像を把握できず、自信がありません。折りが多用された土塁があり、小口が2か所あるとだけ、ご理解いただければと思います。

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 石積み土塁が見えます。

*石倉城の現地解説版には「石倉館は後に、石倉三河の居館でもあった」と記されています。

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 石積み土塁は西へ直線的に伸びています。

*「群馬の古城」には、「関東管領上杉憲政は、石倉三河を頼った」と記されています。

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 館の内部は一部耕作されています。大半は竹林です。奥に土塁が見えますね。先ほどの写真の裏側です。

*「現地解説版」と「群馬の古城」の記述をつなぎ合わせて話を進めますと・・・

 室町時代強大な権勢を誇った関東管領家ですが、次第に北条氏からの圧迫をうけるようになりました。

 管領上杉憲政は1545年には川越の戦いで大敗北を喫し、転落への道を歩み始めます。

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 土塁の東側には切れ目があります。

*1552年には、本拠平井城に近い支城 「御嶽城」 の救援に向かわず、見殺しの落城を招いてしまいます。

 関東管領の権威は地に落ち、家臣団や馬まわり衆までもが、上杉憲政を見捨てて、北条家を頼りました。

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 切れ目の側面は。このように石積みで丁寧に固められており、小口であったと思われます。

*上杉憲政は本拠平井城にとどまることができなくなり、北上州へ逃れました。

 「群馬の古城」では、憲政は当初沼田氏を頼ったが、沼田氏は北条氏と通じて、憲政を冷遇したため、憲政は石倉三河を頼ったと記されています。

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 竹やぶの中に、石積み土塁がある写真をこれから何枚か紹介します。これは内側からの写真です。土塁が奥の方で左側に折れています。

*管領憲政が平井城を去ったのが1552年、そして、越後へ出向いたのが1558年ですから、数年はここ石倉館が管領在所であったと推察されます。

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 これは外側からの写真です。北東部分の塁壁が一番高い部分です。比高は10メートルほどありそうです。

*石倉館の土塁には細かい折れが多用されています。管領上杉家の城は川べりに構築され、土塁に折りが用いられています。遺構の面からも上杉憲正滞在中に土塁が補強されたのではないかと推察いたします。

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 上の部分のアップです。

*上杉憲政は越後の長尾氏を頼り、「関東管領職を譲るから庇護してくれ」と泣きつきます。

 長尾景虎(後の上杉謙信)はこの要請を受け入れました。

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 これも外側からの・・・

*個人的には、憲政がここで自刃していたら・・・

 謙信は関東での泥沼の戦いに巻き込まれずにすんだのではないか・・・

 謙信は西へ向かい、信長より先に畿内を制圧していたのでは・・・と思うのですが。

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 これも外側・・・

*謙信の死後勃発した、御館の乱の際、上杉憲政は宿敵北条からの養子、景虎側に加担して殺されています。

 節操のない方だったんですね・・・

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 利根川の対岸から撮影した石倉館の遠景です。石倉館の文字の左下に土塁が写っています。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「群馬の城」
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Comment
的場城は面白いですね。
らんまる様 御来訪ありがとうございます。

 攻城戦記毎日拝見しています。的場城は面白いですよね。織田説新鮮ですね。

 駿河丸子城と似ているという方もいらっしゃいますか? 私は次元の違う存在だと感じますが・・・

 暖かくなったので整備された城をピックアップしてまわっていますが、草は刈られていても、ハエや蚊はどうにも出来ませんね。虫ベールだけでは対応しきれない感じがしますね。虫コナーズでもぶら下げようかと思っています。(笑)
二番煎じの記事ですが・・
羨ましいですなあー、諸国漫遊中世城郭の旅はいつになることやら・・(笑)それが実現できる日までは、貴殿の記事と写真を見ながら、行ったつもりになっております。それが一番安上がりで、ローリスクなのでしょうね(爆)

五遁さんも「的場城」に行ってたんですねえー、検索したらヒットしましたよ。
静岡の丸子城とクリソツらしいのですが、小生は行った事がありません(汗)

武田流の縄張として放射状畝竪掘の城郭は甲斐の白山城が引き合いに出されますが、当時の縄張の流行の一環で、別に武田さん流と決めつけなくてもいいじゃないの?と思ってます。織田さんって事もあり得ませんが・・・(笑)
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