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石倉城 ~ 関東管領越後出陣

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成25年4月7日、お城仲間のMさんと石倉城に行ってきました。
 群馬県利根郡みなかみ町石倉にあります。

石倉館アクセス

 関越自動車道水上インターすぐ東で、国道291号線の脇に案内表示があります。

 北と東を断崖に囲まれた、要害地形を利用しています。

052_20130515143315.jpg
 案内表示に従い、先に進むと、このような舌状地形があり、左奥に何やら見えます。

 行ってみましょう。

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 解説版です。解説版を見ただけで帰ってはいけません。石倉城の遺構はこのずっと奥です。

*室町時代の1478年、越後守護上杉房能が、家臣である守護代長尾為景に殺されるという事件が発生しました。

 越後守護上杉房能は、関東管領上杉顕定の弟でした。

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 南側の堀をなす沢です。

*関東管領上杉顕定は、弟の死に激怒し、かたき討ちをしようと、兵を集めました。

 迎え撃つ長尾為景は、管領顕定の配下である、上野白井城の長尾景春を味方に引き入れます。

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 石倉城内に入りました。

*管領顕定が白井城へ迫ると、長尾景春は柏原城へ引き、兵力を温存しました。

 管領顕定は長尾景春を無視して、沼田から、ここ石倉の地へ至り、越後への国境越えの体制を整えました。

 長尾景春は未だ健在でしたので、補給路を断たれぬために、万全の体制が必要でした。

 石倉城の普請はそのような事情のもとで実施されたことと思われます。

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 城内から土塁を撮影しました。土塁には折がつけられています。管領上杉氏が多用した手法ですね。

*管領顕定は越後に入り、長尾景為を越中へ追い払うと、景為派の国人を弾圧します。越後に怨嗟の声が満ち満ちたころ、長尾景為が越中から帰国し、逆に管領顕定を攻め滅ぼしてしまいました。

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 城内から利根川を見下ろしました。この方向から攻め登るのは不可能ですね。

*勢いに乗って、越後から攻め入った長尾為景により、石倉城は落城しました。その後長尾景春は関東管領家から白井城を奪回し、溜飲を下げています。

 正に下剋上、戦国時代の幕開けを予感させる出来事でした。

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 利根川の対岸から見た、石倉城の遠景と、谷川岳でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「群馬の城」
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