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薄倉城(修正版) ~ 中山勢を迎撃

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成25年5月12日、お城仲間のMさんと薄倉城に行ってきました。

  別名、中城です。

 群馬県利根郡みなかみ町須川にあります。

薄倉城アクセス
 以前、別の場所を踏査し、破壊されていた等見当違いなレポートをアップしておりました。申し訳ありませんでした。今般、お城マニアの先人「妙義の毛虫」様からご指摘を頂き、訂正のレポートを発信させて頂くことといたしました。
 「妙義の毛虫」様、ご指摘ありがとうございました。

 私は前のレポートで水道施設のすぐ北側を徘徊しましたが、正しい場所は前のレポートで徘徊した場所と沢を隔ててすぐ北側にありました。

薄倉イメージ
 イメージ図を作成しました。「群馬の中世城館跡」掲載図面に民家の住人の個人名が記載されておりましたが、今は個人情報保護の時代であると考え、個人名を伏せ「目印の民家」と表記させて頂きました。

 沢を天然の堀としており、東側から攻め登るのはホボ不可能です。

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 南側から沢越しに、目印の民家を撮影しました。目印の民家を通り過ぎ・・・

051_20130514172155.jpg
 目印の民家の裏の道が、薄倉城への入り口です。

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 二郭です。

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 二郭と本郭を隔てる堀です。

036_20130515105220.jpg
 土橋です。

029_20130514172344.jpg
 本郭はこの様な藪となっており、慣れぬ方は進入されない方が無難です。

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 私は重度の城中毒なので、藪をかき分け、本郭の突端まで行きました。

 突端から沢を見下ろした写真です。

*1541年、地侍の原沢大蔵が守ったとの記録があるそうです。

 1541年といえば、武田信玄が家督を継いだ年ですね。

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 二郭北側の塁壁と堀です。

*1582年、この城と沼田地域は、武田配下の真田昌幸が治めていましたが、同年3月、武田家は滅亡、混乱に乗じようと、高山村の中山九兵衛が、峠を越えて攻め寄せました。

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 外郭の、わずかに残存する堀です。すみません。ただの藪にしか見えませんね。

*須川衆は、城を出て、中山勢を迎撃、しかし、次第に押されてしまいます。

 須川衆は、泰寧寺を焼いて、沼田への狼煙代わりとし、薄倉城に立てこもります。

 沼田の真田勢が援軍に駆けつけると、中山九兵衛は兵を引いたようです

044_20130515105913.jpg
 外郭から見た、本郭の突端です。

 残存度が低いうえ、大藪であり、よほどのマニア以外は敬遠しておいたほうがいいお城だと思います。

048_20130515110052.jpg
 薄倉城から見上げた、岩山の風景でお別れです。夕日が当たるとあの岩がきれいに光るんですよ。 

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「群馬の城」
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