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西窪城(3) ~ 外構えへの考察

 西窪城の最終話です。

 北西方向への備えがあるのではないかと、徘徊しておりましたら・・・

DSCF1585.jpg
 ありました。土塁上から見下ろした外堀と思われる部分です。

1587.jpg
 堀底に降りて撮影しました。

 堀幅は8メートル、右側(城内)の土塁の高さは6メートルと言ったところでしょうか。

DSCF1586.jpg
 しかも、同じ堀幅を保ちながら、南側の斜面を屈曲しながら下っています。

66.jpg
 しかも、しかも、この堀の様子は南側からの遠景でもしっかりと見て取ることが出来ます。

西窪アク
 こちらの概念図で位置関係をご確認ください。

 この外堀があることにより、台地の先端全体が要塞化するのが見て取れます。

DSCF1590.jpg
 Aの土塁のアップです。自然地形とは思えません。

DSCF1588.jpg
 しかも、ここかしこに石積みの痕跡があります。

DSCF1583.jpg
 その上、Bの塁壁上はしっかりと削平されていて、面積もあり、郭と言っても差し支えない状態です。

 この、第3話で紹介させて頂いた地形は城跡とは認定されていませんが、その可能性を感じます。

*堀幅は戦国後期を思わせるものです。

 西窪城主西窪氏は、鎌原氏に仕え、鎌原氏は真田氏に仕えていました。

 武田家滅亡後、この地を治めていた真田昌幸は、上杉、北条、徳川と軋轢を繰り返しながら、領土を守り切りました。

 特に、真田昌幸が上杉景勝に通じた後は、徳川と結んだ北条の大軍が、沼田城や大戸口へ侵攻しました。

 もし、沼田城や岩櫃城が落ちた場合、当地の西窪城、鎌原城のラインで北条の侵攻を食い止めようと考え、急ぎ追加普請したのかもしれません。

006_20130420024548.jpg
 西窪城から見た浅間山の写真でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「群馬の城」
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