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三沢小屋(3) ~ 牛馬を潰して

 三沢小屋の第3話です。

DSCF1749.jpg
 A郭から南の郭の段差を撮影しました。

三沢図
 A郭から二郭までは、ほぼ、一直線です。

*平山優著「天正壬午の乱」によりますと

 佐久を制圧した北条軍は大挙して、依田信蕃の居城春日城へ侵攻しました。

 これを知った依田信蕃はとても対抗できないと考え、春日城を放棄して山奥の三沢小屋に籠城しました。

 北条氏直は一挙に攻め落とそうと試みましたが、三沢小屋は険阻な地形に守られていたため、攻め落とすことはできませんでした。

DSCF1750.jpg
 B郭から、二郭への段差を撮影しました。左側が少しえぐれていて、堀っぽくなっています。

*北条氏直は依田信蕃への対応を大道寺駿河守(松井田城主)へ任せ、川中島へ転戦しました。

 平山優氏は「乙骨太郎左衛門覚書」から引用したと記しています。

DSCF1751.jpg
 北側から見た二郭です。きっちり削平されています。私がただの山を三沢小屋としてでっち上げたのではないことをご理解いただければ幸いです。

 奥に、うっすらと本郭の塁壁が見えます。

*北条氏直は川中島で上杉景勝と対峙しますが、景勝の備えが固い為、南へ矛先を向けることとしました。

 景勝への備えとして真田昌幸を残すと、佐久衆を行軍に加え、諏訪を経由して、甲斐の若神子に布陣しました。北条氏直は、小県、佐久、諏訪、高遠、甲斐北西部を勢力下に治め、依田信蕃はその真っ只中で孤立することとなりました。

DSCF1740.jpg
 南側から二郭を撮影しました。細長い廓であることがわかります。

*徳川家康は、新府城を再興し北条軍と対峙し、両軍の対峙は長期化しました。

DSCF1752.jpg
 二郭の南端から本郭の塁壁を見上げました。

*三沢小屋は八月中旬にも北条勢の攻撃にさらされました。何とか撃退したものの、孤立した依田信蕃は兵糧にもこと欠き、牛馬を潰して飢えをしのぐほどに困窮したのでした。

1752.jpg
 同じ写真ですが、ジグザグ通路がわかるように、線を入れてみました。イメージ図と見比べていただけると、周囲の郭配置も想像できます。

 「三沢小屋第4話・真田昌幸の支援」へ続く・・・  

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「長野の城」
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