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馬伏塚城 ~ 極陰の浮城

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成25年2月23日、お城仲間のMさんと馬伏塚城(まむしづかじょう)に行ってきました。

馬伏塚アク
 静岡県袋井市浅名、JR東海道本線袋井駅南方約3キロにあります。

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 現地解説版の図面です。東、南、西を低湿地に囲まれ、北面のみアクセス可能な極陰の浮城であったようです。

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 現地解説版です。

「室町期に、今川氏と斯波氏が争った際の、今川氏の拠点として文書に名前が出ている。

 今川氏の家臣小笠原氏が、高天神城と共に、この馬伏塚城を所有していた。

 今川氏が没落すると、小笠原氏は徳川の配下となった。

 1574年6月17日、高天神城は武田の手に落ちたが、馬伏塚城は徳川の支配下にとどまった。

 徳川家康は、馬伏塚城を高天神城奪回の作戦本部と位置付け、8月1日から大改修を行った。」

 ・・・と記されています。

 私的感想を申し上げると、高天神城奪回の作戦本部ではなく、これ以上遠河を蚕食されない為の最前線保塁として強化されたのではないかと感じます。

 縄張りを見ると、反撃を考えていない、守りに徹した構造だからです。

馬伏塚今
 現地解説版掲載図面をもとに、北郭群をイメージ図化しました。

056_20130318053225.jpg
 推定居館部は市街化されています。推定居館部から「今城」方向を撮影しました。

 写真奥の林が「今城」です。

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 「今城」の土塁です。堀切は道路となっています。土塁のふもとに何かが・・・

057_20130318053532.jpg
 親切な看板が、あわれにも・・・

 今城の土塁は良好に残存していますが、その内側には民家があるため、踏査は遠慮させて頂きました。

馬伏塚詰
 南郭群は破壊が著しく、残存度は1割程度でしょうか?

 現地改札版に復元図面が掲載されていましたので、それをもとにイメージ図化してみました。

 南郭群は、実質的な最終防御地点、詰城であると思われます。

 北郭から細長い大手を進むと、神郭と馬出から挟撃され、更に一段高い本丸土塁上からの射撃にさらされるという、強固な守りです。

045_20130318053924.jpg
 馬出しの残存塁壁です。

*1578年3月、越後の巨星上杉謙信が亡くなり、上杉家の家督をめぐって御館の乱が勃発し、武田勝頼は乱に介入します。そのことにより武田家では遠河に兵を割けなくなってしまいました。

 徳川家康は高天神城奪回を企図するようになりました。

 しかし、馬伏塚城は籠城抗戦には向いていても、攻勢の拠点としてはふさわしくありませんでした。

 そこで、家康は海沿いに攻勢の拠点として横須賀城の築城を命じました。

052_20130318054056.jpg
 本丸の残存土塁です。

*横須賀城が完成すると、馬伏塚城は、横須賀城の支城となります。

 1581年に高天神城奪回に成功すると、役目を終えた馬伏塚城は間もなく廃城となったということです。

053_20130318054423.jpg
 本丸の残存土塁上から、南側を撮影しました。低湿地に囲まれた城であったことを想像する助けになれば・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「静岡の城」
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