FC2ブログ
HOME   »  中世城郭  »  小笠山砦(6) ~ 両袖横堀屈曲小口

小笠山砦(6) ~ 両袖横堀屈曲小口

 小笠山砦の最終話は北西峰のレポートです。

063_20130302133516.jpg
 この写真はGの部分です。

小笠山砦北西峰
 図の右側の「横堀」「横堀」「横堀」は現地で確かに確認して素晴らしいと感動したのですが、帰って来て写真で見ると藪にしか見えず、写真の掲載は見合わせさせて頂きます。

 皆様、現地でご確認ください。

 CからDへの進路は、両袖を横堀で守られ、屈曲した小口となっています。

066_20130302134000.jpg
 GからFへ移動する途中の土橋です。

 上下屈曲し、走りぬけようとすると転落してしまいます。

*さて、徳川家康は掛川城を手にいれた後、武田信玄と断交し、両者は敵対関係となります。

069_20130302134230.jpg
 Fには三角点があり、小笠山山頂となっています。

*武田信玄は、遠江に兵を進め、三方ヶ原で徳川・織田連合軍を撃破します。しかし、信玄は翌年この世を去り、武田勝頼が跡を継ぎます。

078_20130302134654.jpg
 Cに立って、左側の横堀を撮影しました。

*武田勝頼は、1574年に小笠山砦南方の高天神城を奪取します。

 小笠山砦は、高天神の武田兵が掛川城へ攻めよせるのを防ぐ重要拠点となりました。

076_20130302134805.jpg
 横堀は結構奥まで伸びています。

*翌1575年、長篠の戦いで、徳川・織田連合軍が、武田勢を駆逐すると、遠河では徳川勢が優勢となりました。

 しかし、武田勝頼も諦めませんでした。

 1578年、武田勝頼は高天神城南西の横須賀城近くまで兵を進めました。徳川家康は軍勢を率いてこれに対峙。勝頼が高天神城へ兵を引くと、家康はこの小笠山砦に本陣を移し、掛川城の防御にあたりました。

075_20130302134945.jpg
 右側の横堀です。木が邪魔で申し訳ない。

*その後、武田家の劣勢が続くと小笠山砦は、徳川勢が高天神城の武田兵を攻囲する為の六つの砦の一つとして、その役割を変えたのでした。

074_20130302135136.jpg
 E郭の小口から、D郭を見おろしました。

 様々な技法が取り入れられた巧妙な遺構が良く残存しておりますし。神社の駐車場から10分ほどでたどり着けますし、景色は良いし、何といっても徳川家康が長期滞在して指揮を執った場所ですので、歴史好き、お城好きの方にお薦めです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「静岡の城」
スポンサーサイト



Comment
Re: 懐かしいです。
らんまる様 御来訪ありがとうございます。

 私も小笠山砦には嬉しいびっくりでした。駿河の山城はファジー(死語ですか?)な感じのものが
ホトンドだったので、小笠山砦も期待せずに登ったのですが・・・

 小笠山砦は、高天神城と掛川城の中間にあり、掛川城を攻められない為に強化したのではと個人的
には感じています。

 私は、脳の構造がマイノリティーなので、マジョリティーの皆さんとは自然に感覚がずれるようで
す。昔は合わせようとしていたのですが、今は、自分のままでいようと思っております。

 さて、ここに家康が立ったのか? 昌幸大先生が・・・ 馬場美濃守大先生が・・と、想像するの
も城攻めの楽しみですね。

> 昨年10月の静岡旅行の際に偶然看板を見つけて思わず登りました。高天神城の付け城としては遠すぎるようにも思いましたが、駿河で技巧的な山城にお目にかかれるとは思っていなかったので嬉しかった・・(笑)
>
> 貴殿の感覚も独特なので感嘆しきりでございます。
> 小笠山から目を凝らして高天神山城を探しました。家康と同じ風景が拝めたとは嬉しい限りですね(漠)
懐かしいです。
昨年10月の静岡旅行の際に偶然看板を見つけて思わず登りました。高天神城の付け城としては遠すぎるようにも思いましたが、駿河で技巧的な山城にお目にかかれるとは思っていなかったので嬉しかった・・(笑)

貴殿の感覚も独特なので感嘆しきりでございます。
小笠山から目を凝らして高天神山城を探しました。家康と同じ風景が拝めたとは嬉しい限りですね(漠)
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード