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津久井城(10) ~ 大手郭

 津久井城の最終話です。

GEDC1533.jpg
 いきなり藪の写真で申し訳ありません。大手郭群は整備されていません。写真は「Q郭」です。

津久井大手
 「Q郭」の図右側に大手道がつながっています。

 規模の大きな郭が連続しているのですが、写真は藪だらけで規模が伝わらないのが残念です。

GEDC1531_20130216142916.jpg
 「大手道」です。

GEDC1529_20130216143554.jpg
 「O郭」から「J郭」へと斜めに登っていく道です。一部石積が残存しています。

GEDC1527.jpg
 「O郭」から「J郭」へ入る小口は枡形状に窪んでいます。

GEDC1526_20130216144006.jpg
 「J郭」にいます。「A」の小口から下って来るMさんを撮影しました。

GEDC1520.jpg
 「二郭」側からみた「A」の小口です。

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 さて、この地方の戦国時代を語る上で欠かすことが出来ないのが「三増峠の戦い」です。

 武田信玄の駿河侵攻を、北条氏康は咎め、両者は交戦状態になります。

 北条氏康は駿河へ兵力を集中させたため、武田軍は苦戦します。

 信玄は陽動作戦を考えました。

 信玄は関東を席巻すると、「三増峠の戦い」で北条軍を撃破しました。

 北条氏康は駿河の兵を関東へ戻さざるを得なくなり、信玄の駿河攻略は進んだのでした。

GEDC1443.jpg
 津久井城から見た「三増峠」です。こんなに近いのに津久井城の内藤氏は戦いに参加しませんでした。

 実は、内藤氏の所領は相模と甲斐の国境に位置し、武田家、北条家双方に仕え、北条家もそれを黙認していたということです。

 それでも内藤氏としては、近くで戦があったのに参加しなかったとあっては、北条家の中で居心地が悪くなることは理解できたでしょう。

 これは私の推測ですが・・・

 内藤氏から武田へアリバイ工作を依頼したのではないでしょうか? 武田が押さえの兵を津久井城下へ派遣したから手を出せなかったといった状況を創って欲しいと、武田へ持ちかけたのではないでしょうか。

 信玄はそれに応じ、小幡氏と加藤氏を津久井方向へ差し向けたのでは・・・

GEDC1427_20130216150027.jpg
 西側からの、津久井城の遠景でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「神奈川の城」
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Comment
Re: 行きましたよ!
リュウ様 御来訪ありがとうございます。

 津久井城は、ハイキング道の整備により遺構が破壊されてしまっている部分がありますが、曇り無き眼で見つめれば、往時の技巧性が浮かび上がってくると思います。

 もう、年末ですね。家族サービスの時期です。

 お互い、家族を大切に!
行きましたよ!
私も学生の頃に行きました!今はダム上に国道が走ってますが、昔は麓から…と思うと気が遠くなりますよね。
堀切も埋まってましたし、古いタイプの山城かと思っておりましたが、なかなかの技巧もあって嬉しくなりました。
レポートありがとうございました。もっといろいろな人に地元の歴史に興味を持ってもらえたら嬉しいです。
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