HOME   »  中世城郭  »  超図解御嶽城(6) ~ 上杉謙信との争奪

超図解御嶽城(6) ~ 上杉謙信との争奪

 御嶽城の第6話です。

 今回は南側の尾根の解説をしたいと思います。

1408.jpg
 下の図、「F」から撮影しました。「E」への屈曲侵入路です。

南尾根
 先人の図面が無かったので、自らのスケッチを地形図へ落とし込み、そこから立体化させました。

*関東管領上杉憲正の越後逃亡により、関東は北条氏康の天下となりました。

GEDC1405_20130203152903.jpg
 「E」のスペースです。左側に板碑のよう岩が並んでいます。このエリアに入ってから写真のピントが合わなくなってしまいました。見苦しくて申し訳ありません。

*上杉憲正は、上杉謙信へ「関東管領の座と山内上杉家」を譲ることとしました。1560年、上杉謙信は関東を席巻しました。謙信に従った武将の中に「安保次郎」の名前があり、御嶽城は謙信の手に落ちたと推測されます。

GEDC1402_20130203153307.jpg
 「C」の郭の左下の腰郭だと思います。

*謙信が越後に帰国すると、武蔵や南上州の武将たちは、翌年、北条家へ戻っていますので、御嶽城も同様の経過をたどったと思われます。

GEDC1401_20130203153624.jpg
 「B」の郭だと思います。

*この際、御嶽城は謙信勢に再奪還されぬよう普請が強化されたのだと思われます。

 その時点で、御嶽城南東にある松山城は未だ謙信派の手にあり、御嶽城は南から攻められることも想定しなければならなかったと思われます。

 1562年には、北条氏配下の用土氏が御嶽城を普請したとの記録があります。

GEDC1395_20130203153747.jpg
 本郭を背に「A」郭を撮影しました。

 右側から竪掘が食い込んでいます。「食い込み竪堀」として、イメージ図に記載いたしました。

 藪だらけの上に、ピンボケ写真ばかりで南尾根の素晴らしさが伝わらなかったと思います。そこで、遠目に見て取れる写真を用意しました。

遠景南2
 「A」から「D」にかけての急さ加減を感じ取って頂ければ幸いです。

 御嶽城第7話・信仰の岩山へ続く

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「埼玉の城」
スポンサーサイト
Comment
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード