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超図解御嶽城(5) ~ 関東の高天神

 御嶽城の第5話です。



遠景東
 前回は北尾根のお話でしたが、今回は二郭周辺のレポートさせて頂きます。

北尾根
 描写力が上達しません。独学ではだめなのでしょう・・・

GEDC1336.jpg
 堀切1を過ぎると急な上り坂となります。

*室町時代後期、関東管領山内上杉氏は、平井城、御嶽城、鉢形城の防御ラインで、古河公方や、扇谷上杉氏と対抗していました。

 鉢形城は一時上杉氏の山内上杉氏の本拠でしたが、1531年ころには本拠を平井城に戻し、鉢形城には重臣の藤田氏を置いていたようです。

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 「A」郭から見た二郭の塁壁です。

*1545年、関東管領山内上杉憲正は川越合戦に大敗しました。勝利した北条氏康の威勢は増し、管領配下の大石氏、藤田氏が北条へ降ります。

GEDC1342_20130203144318.jpg
 二郭は現状ヤブだらけです。

*藤田氏が降ったことにより、藤田氏の管理する鉢形城は北条の支配下となったと推察されます。

 平井城、御嶽城、鉢形城の防衛ラインは崩壊し、御嶽城は山内上杉氏の最前線として、南の鉢形方向から攻めよせる北条勢と対峙しなければならなくなりました。

西2
 反対方向からのイメージ図です。

*川越合戦で大敗した関東管領山内憲正は勢力の回復をもくろみ、1547年信濃に進出し、武田信玄を相手にまたもや大敗してしまいます。小田井原の戦いです。関東管領の威勢は衰退し、北条氏康は攻勢を強めることとなります。

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 二郭の西側には腰郭が二段付属しています。下の段です。

*1552年、北条氏康は御嶽城を攻囲しました。

 関東管領上杉憲正は、居城平井城南方僅か一里の御嶽城へ後詰(援軍)を送りませでした。「仁王経科註見聞」によりますと・・・

 御嶽城兵はコトゴトク討ち死にし、落城しました。

GEDC1346.jpg
 腰郭の上の段です。

*御嶽城を見捨てたことより関東管領の権威は地に落ち、関東管領配下の豪族は雪崩をうって北条へと降伏しました。上杉憲正は平井城を捨て、越後へのがれることとなりました。

 後年、遠江の高天神城を武田勝頼が見捨てて、天下の面目を失い、家臣の離反を招き、滅亡への道をたどりました。

 御嶽城落城は、関東管領家没落の決定的な契機となった点で、高天神城落城と同様の意味を持つと理解されます。

GEDC1345_20130203145120.jpg
 腰郭から見上げた二郭の塁壁です。

 御嶽城第6話・上杉謙信との争奪へ続く・・・

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