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超図解御嶽城(1) ~ 関東管領山内上杉構築

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成25年1月29日御嶽城に行ってきました。

アクセス
 関越自動車道「本庄児玉インター」から20分ほどです。

*平安時代からこの地域には阿保氏がおり、源頼朝東北遠征時、阿保氏はそれに従い、戦功により秋田県鹿角郡に所領を得ています。

 御嶽城の創設は阿保氏とする説があります。

 一方、「北武蔵・西上州の秘史」の説では、室町期、長尾景春の乱の後、関東管領山内上杉氏が防衛体制を整える為、平井城と、鉢形城のつなぎとして構築したと推定しています。

 著者の川鍋氏は、山内上杉氏の重要な城・・・

 つまり、平井城、鉢形城、白井城は、川沿いの断崖に頼って築城している為、御嶽城も川沿いの断崖に頼った城であったと推察しています。

 川鍋氏の推察をもとに・・・

崖端
 妄想を働かせてみました。

 この付近では神流川の断崖が深く刻まれていて、川沿いは完ぺきな防御です。

 北側は小川を堀として利用していたのではないかと思います。

 南側は、堀跡と推察される水路が地図上に記載されていることに興奮を覚え、そのラインに沿って、点々を記載してみました。

 居館と駐屯区域は川べりであったでしょうが、御嶽山に敵兵が侵入すれば、ひとたまりもないので、御嶽山上にも、それなりの普請はされたと思います。

平面
 東尾根から御嶽山頂の主郭へ至る道が整備されていて、私もこれまでそのルートしか踏査してきませんでした。そのルートは烽火台程度の遺構しか残っていません。

 しかし、戦国期には北条氏康と武田信玄の攻防があり、信玄は奪取後二千の兵を置いて追加の普請をしたとされます。

 今回、御嶽城に大兵が籠る設備があったのか知りたくなり徘徊しました。

 いやいや、上の図の通り、広域にわたって遺構が分布しており、この城が重大要塞であったことを実感させて頂きました。

 さて、レポートはあまり認知されていない西尾根から・・・

GEDC1362.jpg
 Cの郭です。

西1
 先人の図面が手元に無いので、自らのスケッチを地形図に落とし込んでから、立体化させました。

 この部分は武田による構築であると思います。

 武田がこの城を奪取した頃、南の秩父は北条が支配していました。

 武田は南から北条が奪回に来るのを防がなければなりません。

 しかし、南からのアクセスは絶壁に近い急峻さですので、北条勢は西側に迂回して攻めよせるはず・・・

 という予想で西側の尾根を追加普請したのだと思います。

1425.jpg
 北から見た写真で上記の説をイメージ化してみました。

 「御嶽城第2話・枡形小口完全残存」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「埼玉の城」
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Comment
Re: おもしろそう
丸馬出様 御来訪ありがとうございます。

 ご期待頂き嬉しい限りです。

 このとき使っていたカメラは今、御臨終となりました。

 このとき、その前兆だったのか、ボヤケタ写真ばかりで
良い遺構も視覚的にお伝えできなかったのが残念です。

 最近は静岡県の高天神城周辺のお城にはまっています。

 物凄い城密集度で天正期の壮絶な攻防がしのばれます。

 しかし、篠竹が生えやすい地域なのでしょうか?

 比高はさほどではないのですが、身の丈を優に超える竹
が10センチ間隔で生えている場所が少なくありません。

 それをかき分けで何十メートルも進むのは、体力的にも
精神的にも・・・

 でも、私は負けませんよ!


> 今回のシリーズは
> すごく面白そうですね
>
> 根小屋の復元も面白かったです
> 今週は目がはなせませんね(笑
おもしろそう
今回のシリーズは
すごく面白そうですね

根小屋の復元も面白かったです
今週は目がはなせませんね(笑
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