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松井田城(11) ~ 連続竪掘

 松井田城の11話です。

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 前話は二郭の小口の説明でしたが、今度は本郭北側の尾根の説明となります。

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 Dの郭には「連続竪掘」の表示があります。表示の東側斜面に竪掘が連続してウガタレテいます。

 イメージ図には、畝状竪掘と記してしまいました。申し訳ありません。

GEDC1258.jpg
 このショットは見栄えがしますね。

*さて、松井田城最後の城主は、大道寺駿河守政繁でした。

 大道寺駿河守政繁の奥さんは、再婚でした。奥さんには前の夫の連れ子がありました。

 大道寺駿河守政繁は、連れ子を養子とし、大道寺隼人を名乗らせました。

GEDC1257.jpg
 他のショットはこんな状態で・・・ 多くの竪掘が目視はできたのですが・・・

 攻城兵が斜面を迂回するのを阻止するための構造ですね。

*1590年、北条家は没落し、松井田城主大道寺駿河守政繁は、豊臣秀吉により切腹させられました。

 大道寺隼人は浪人となりましたが、後に尾張藩に招かれ、加藤清正と共に名古屋城の築城に携わりました。

 その後弘前藩に仕え、弘前城築城に携わりました。

GEDC1260.jpg
 D郭から南側の塁壁を見上げました。

*第二代弘前藩主津軽信枚の正室は、徳川家康の養女満天姫でした。

 満天姫は再婚で連れ子がいました。

 連れ子は賤ヶ岳の七本槍で有名な福島正則の孫でした。

 弘前藩では福島正則の孫の処遇に苦慮しまたが、大道寺隼人は福島正則の孫を自らの養子として迎え、嫡子として遇することにより、事態を丸く収めました。

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 堀切兼通路2です。

その後、津軽藩ではお家騒動が勃発し、幕府が調停に出る事態となりました。大道寺隼人はお家騒動収拾に大きな功績があり、津軽藩の家老にとりたてられました。

GEDC1263.jpg
 武者頓の表示があります。

*大道寺隼人は、弘前城下の貞昌寺に義父大道寺駿河守政繁の供養塔を建立し、自らの墓石をそのかたわらに置かせたそうです。

GEDC1264.jpg
 堀切兼通路1です。通路を通る攻城兵を郭の上から攻撃しようとする構想ですね。

*私事ではありますが、私の母の実家は津軽でありまして、祖母の墓は大道寺隼人と同じ貞昌寺にあります。

GEDC1267.jpg
 Aの郭です。細長くて二段になっています。

*祖母の家は家系図も無い、一般家庭ですが、弘前藩家老と同じ敷地に墓所があるのかと思うと、少々嬉しいのは、俗物根性ですね。いやはやお恥ずかしい・・・

GEDC1277.jpg
 松井田城近くから見た浅間山でお別れです。

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