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文殊寺の砦(1) ~ 武田菱の祠

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成25年1月12日、お城仲間のMさんと文殊寺の砦(もじょうじのとりで)に行ってきました。

a八幡平アク

 群馬県安中市鷺宮、信越本線磯部駅東方約1キロにあります。

f002.jpg
 西方約500メートルに位置する磯部城と同時期に築城されたと考えられています。

 先人の図面によりますと、主郭部と南郭部かあるようです。

GEDC1133_20130120130754.jpg
 まず、南郭を目指します。近くに路上駐車をさせて頂き、徒歩でこの道を進みます。

GEDC1134.jpg
 ここは左で、次が右です。

GEDC1135_20130120131505.jpg
 途中で、同行のMさんがこの祠を発見して下さいました。賽銭箱には何と「武田菱」が!

 上州遠征に同行した武田氏の支流がここに土着したのでしょうか?

 この砦が武田の築城であること間接的証拠と考えられはしないでしょうか?

f001.jpg
 イメージ図を作成しました。

GEDC1136_20130120132313.jpg
 祠を過ぎると広い平坦地にでました。左側の林が南郭、右奥の林が主郭ですが、どちらへ進もうとしても藪に阻まれて進めませんでした。

 一旦、引き返してから、主郭を目指すことといたしました。

1293.jpg
 北側から見た位置関係です。

 「文殊寺の砦第2話・駐屯用地か?」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「群馬の城」
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Comment
Re: 私も
丸馬出様 御来訪ありがとうございます。

 武田の滅亡時、甲斐では信長による武田遺臣狩りが行われましたので
甲斐への帰郷はキケンとみなし、征服地の上州に土着した人たちは少な
くなかったのでしょう。
 小幡氏目付として、武田家より上州に派遣されて・・・
 武田家滅亡を期に、小幡氏黙認のもと、小幡氏領国で農家になる・・
といったことはあったのでしょうね。

 真田氏目付として、武田家より派遣されていた方が、後に真田家家臣
となっている例がありますから・・・

> 私も、群馬の倉渕村のとある山城で
> 武田菱の入った石塔を見つけたことがあります。
> 以外と、土着した武将が多そうですね。
私も
私も、群馬の倉渕村のとある山城で
武田菱の入った石塔を見つけたことがあります。
以外と、土着した武将が多そうですね。
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