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磯部城(6) ~ 短い使命

 磯部城の最終話です。

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*現地解説版によりますと、磯部城の創始は鎌倉時代であるとのことです。創始の頃は、本郭と二郭の規模であったと推察いたします。

 それを現在の形に改修したのが戦国時代1562年の武田勢とされています。

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 「あ」から、二郭への小口です。現状、土塁を乗り越える道が造られていますが、往時は土塁の上に柵を立て、二郭の塁壁に沿って迂回を強いたと推察し、図面に矢印で示しました。

GEDC1182_20130120124313.jpg
 二郭東方の土塁上から北側撮影しました。

 看板のすぐ上に、グリーンラインが横たわっているのが見えます。碓氷川の河岸段丘で段丘の先が安中領です。

 磯部城が安中領侵攻の最前線であることが実感できます。

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 二ノ丸表示です。

*1563年、武田信玄は、配下の真田幸隆をして、群馬県北部の吾妻領を奪取せしめ、安中氏を北と南から挟みこむ体制に持ち込みました。

GEDC1207.jpg
 二郭からみた、本郭の土塁と小口です。

*翌1564年、武田信玄は、松井田と安中の城を開城せしめ、安中氏を配下に組み込みます。

GEDC1209_20130120125559.jpg
 本郭は笹の海となっていました。

*磯部城は前線基地としての使命を終えました。僅か2年の使命でした。

1293.jpg
 北方の安中領「滝山城」から見た、磯部城の遠景でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「群馬の城」
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Comment
Re: 力作です
 M様 御来訪ありがとうございます。

 磯部城のレポート、お褒めにあずかり恐悦至極に存じます。
 十年来のわだかまりでしたので、力が入ってしまいました。

 過日同行頂いた高天神周辺は調べれば調べるほど面白いですね。
 あれほど城郭が密集している地域は稀有ですね。

 本日、火ヶ嶺砦の図面化が終了しました。

 残るは高天神城です。

 高天神城は先人の図面が多く・・・
 しかし、毎度のことながら、先人の図面に納得できない部分も
あり、どの先人から、どのパーツを取り入れるか?

 先人の丸写しでは、存在価値が無いので、五遁らしさをどこに
見出すか?等、他者から見れば、どうでも良いことに脳細胞を酷
使し、描いては捨てを繰り返し・・・

 すみません、愚痴を・・・

 次に注目していただきたいのは、御嶽城レポートです。
 これも、力んでみました。

 また、いつかご一緒頂き、かの地を網羅出来る日を楽しみにさ
せていただきます。
力作です
磯部城のレポート、楽しませてもらいました。
一緒に行ったのに、小生はぼんやりとしか見ていなく、ここまで分析するなんてすごいなと思います。
ここまで観察しながら城巡りをしていると、楽しさが倍増するのでしょうね。

先日の高天神でも勘違いをして間違った情報をお話してしまったようです。次回お会いした時に……

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