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関城(1) ~ 関東南朝最後の拠点

 みなさん、こんにちは。中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成24年12月22日、お城仲間のMさんと関城に行ってきました。

e004.jpg
 茨城県筑西市関舘にあります。

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 国指定の史跡となっており、駐車場、トイレ、看板が備えられています。

*南北朝時代、関城は、駒城、大宝城、小田城とともに南朝側の拠点となりました。

GEDC0997_20130106090311.jpg
 往時の大手道でしょうか? 関城通りを進みます。

GEDC0999.jpg
 手前が堀で、奥が本郭の土塁です。

*1338年、南朝方の幹部北畠親房が小田城へはいると、関城の関宗佑はこれに呼応しました。

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 北側から見たイメージ図です。残存度が低いので、大胆に妄想を働かせて、往時を復元してみました。学術的根拠はありませんので、参考になさらないで下さい。

GEDC1000.jpg
 本丸の土塁を南側から撮影しました。

*1341年5月、駒城が落ち、南朝側の退勢が明らかになると、同年11月小田城主小田治久は北朝に降伏しました。北畠親房はこの関城に移り、抵抗を続けたということです。

GEDC1001.jpg
 イメージ図「あ」の郭の北側の堀と土塁です。

GEDC1003_20130106091108.jpg
 「関城第2話・攻城の大将を死傷せしむ」へ続く・・・
 
 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「茨城の城」
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Comment
Re: 城ノ腰砦
妙義の毛虫様 御来訪ありがとうございます。

 そうでしたか。ご教授ありがとうございます。

 主郭を踏査した後、その背後の尾根にも遺構があるのではと
延々と登ってしまうことが時々あります。

 ほぼ何も無いのですが・・・

 布引観音北尾根遺構群のようなことがたまにあるので、つい
つい・・・

> 城ノ腰砦ご苦労様でした。主郭から尾根添いに南東へ登っていくと大岩のある稜線となり、そのまま行けば御荷鉾林道に出られます。
Re: TVでみたのですが
丸馬出様 御来訪ありがとうございます。

 南北朝時代は、日本全国いくさだらけだったようですね。
 後醍醐さんに認められた領主と、足利尊氏さんに認めら
れた領主が、それぞれの国にいたのですから、当然、どち
らかが屈服するまで収まりませんよね。

 今の時代に生まれて幸せですね。

> 南北朝時代は戦国時代と同じように
> 戦乱の時代だったようですね。
> 縄張りは古いかもしれませんが
> たくさん城が作られた荒廃した
> 時代だったようですね
城ノ腰砦
城ノ腰砦ご苦労様でした。主郭から尾根添いに南東へ登っていくと大岩のある稜線となり、そのまま行けば御荷鉾林道に出られます。
TVでみたのですが
南北朝時代は戦国時代と同じように
戦乱の時代だったようですね。
縄張りは古いかもしれませんが
たくさん城が作られた荒廃した
時代だったようですね
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