FC2ブログ
HOME   »  中世城郭  »  駒城 ~ 従軍兵士の日記

駒城 ~ 従軍兵士の日記

 みなさん、こんにちは。中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成24年12月22日、お城仲間のMさんと駒城に行ってきました。

e004.jpg
 茨城県下妻市黒駒、鬼怒川と県道233号線がクロスする「駒城橋」の北東に位置します。

GEDC0990_20130106075507.jpg
 県道の一本北側の道路脇に駒城の標柱があります。

*南北朝時代、駒城は、関城、大宝城、小田城とともに南朝側の拠点となりました。

GEDC0991_20130106080451.jpg
 解説版がありますが古くて読み取ることが出来ません。

*南朝方の幹部北畠親房が常陸へ入国すると、駒城の藤原実寛はこれに呼応しました。

 駒城は、北朝方の高師冬、結城氏、小山氏の軍勢の攻撃を受けましたが、幾度となくこれをはねのけたということです。

GEDC0995_20130106080632.jpg
 僅かな残存土塁のアップ写真です。

*七宮達三著「下野小山・結城一族」には、高師冬配下矢部氏の書面が掲載されていますので、現代語訳をしてみました。

 1339年4月6日、高師冬様が茨城県の南朝勢を攻める為、京都をお立ちになりました。私はお供しました。9月8日には埼玉県熊谷市に入りました。

GEDC0994_20130106080745.jpg
 土塁の北側には僅かな堀跡が見られます。

*10月22日には鬼怒川の「並木の渡し」を突破し、翌23日には「折立の渡し」を突破しました。2日後の25日には一堀橋を越えて戦いました。

 11月8日には、駒城の高櫓前面の塁壁に取りつき、鹿垣を切り取りました。

 翌1340年26日、駒城攻めの二番手となり城壁に取りつきました。

 矢部氏の書面はここまでですが、矢部氏が城壁に取りついた翌日、駒城は落城したとのことです。

GEDC0993_20130106080845.jpg
 標柱の南西には、堀の名残りと推察される段差があります。

*矢部氏の書面から推察すると、鬼怒川の他にも小河川や堀があり、重層的なを防御を施していたようです。

GEDC0992_20130106081050.jpg
 北側からの遠景でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「茨城の城」
スポンサーサイト



Comment
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード