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ケムリの城(3) ~ 真田の橋頭保か?

 ケムリの城の最終話です。

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 三郭には鉄塔が建っています、便宜上三郭としましたが、削平されていない斜面であり、郭でなかった可能性もあると思います。

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*この城の役割は何なのでしょうか?

 村上氏が坂城を防衛するために、構築した城塞群のひとつであったとする解釈があります。

 虚空蔵山城~鳥小屋城~高津屋城~和合城の尾根筋へ、上田方面から攻め上がる尾根の途上にあるため、この城の創始は村上氏城塞群のひとつではなかったかとの解釈に納得がいきます。

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 四の郭です。西に突き出る形となっています。

*しかし、郭たちの前面にある堀は1本のみです。

 一方、郭たちの背後には、4本の堀がうがたれ、幅広く斜面を下っています。

 つまり、坂城方面の尾根筋から攻め下ってくる敵に備えた防御が執拗なまでに施されています。

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 堀切5です。右側の上が四郭です。四郭側には岩が続いていて、強固な遮断線となっています。

*この城の四重堀切は、背後の尾根筋からの敵に備えて、ある時期に追加普請されたのではないでしょうか。

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 三郭から二郭の塁壁を見上げると、石積みが見られます。

*虚空蔵山城の第3話でおつたえしましたが・・・

 天正11年3月、虚空蔵山城は上杉景勝が占拠しており、フモトの現上田市は真田昌幸が支配していました。そして、両者は敵対関係にありました。

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 藪でわかりにくいのですが、二郭から本郭を見上げました。ここにも石積みがありますね。

*真田昌幸は、虚空蔵山城を急襲し、落城寸前にまで追い込んだ上で撤退します。

 ということは、ケムリの城はその時点で真田昌幸により制圧されていた可能性が高いのです。

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 本郭は狭い上に藪で何が何だか・・・

*真田昌幸は、虚空蔵山城の包囲を解きましたが、上杉軍が山上から現上田市へ攻め下り、上田城築城の妨害をすることを防ぎたいと考えたのではないでしょうか。

 そこで、攻め下る尾根筋のケムリの城に追加の普請を加えたのではないのでしょうか。

 以上、歴史素人の妄想でした。どうぞお聞き捨て下さい。

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 西の和合城から見た、ケムリの城の遠景です。こんなに遠くからでも堀切と竪掘りが確認できるのがスゴイデスネ。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「長野の城」
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