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虚空蔵山城(1) ~ 標高1076M

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成24年11月24日、「らんまる攻城戦記」編集長らんまるさんのご案内で、虚空蔵山城に行ってきました。お城仲間のMさんとでいびすさんも一緒です。

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 長野県上田市上塩尻にあります。

*虚空蔵山城は「村上氏が本拠である坂城を防衛する為に築城した」と考えられています。
 上田と坂城を隔てる尾根筋の頂点、標高1076メートルに築城されています。
 少なくとも、村上義清と武田信玄がこの城から見下ろせる位置にある上田原で激突した時点では存在していたと推察されます。

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 持越城から尾根筋へ登りつめました。「虚空蔵・兎峰」との表示があります。

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 兎峰を見おろしました。

 らんまるさんのお話ですと「敵の進入をふさぐ、ふさぎ峰」からナマッテ兎峰と呼ばれるようになったとの説があるそうです。

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 兎峰の先端からは、上田原古戦場を見おろすことが出来ます。

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 頂上が見えてきました。

*1548年の上田原の戦いで、武田信玄と村上義清は激突し、両軍に多大の損害が出ましたが、武田方は真田庄に真田幸隆を配置することに成功しました。村上方として真田庄にあった横尾氏がこのとき没落しています。

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 南側から見たイメージ図です。上の写真は東側から本郭方向を見上げたものです。

*1551年5月26日、「村上方の要衝戸石城」は真田幸隆により乗っ取られてしまいます。虚空蔵山城は戸石城と同じ山塊に位置しますので、これ以降、虚空蔵山城の防備はより固められたと思われます。

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 右上が本郭、左奥が二郭と二郭下段です。

*1553年4月、村上家臣団に武田の調略の手が伸び、村上義清は本拠である蔓尾城を放棄して越後に逃亡しました。
 その後、越後の上杉謙信参戦による揺り戻しはあったものの、戦線は川中島へと北上し、虚空蔵山城のその存在意義を失い、放棄されたと思われます。

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 本郭のアップです。狭くて建物を設置するのは難しかったことでしょう。敵を威圧するため旗が置かれていたのではないかと推察します。

mGEDC0792.jpg
 本郭からは菅平方面が遠望できます。

*虚空蔵山城が歴史の表舞台に再登場するのは、29年後の1582年(天正10年)となります。

「虚空蔵山城第2話・上杉景勝勢集結」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「長野の城」
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