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持越城(2) ~ 石垣の謎

 持越城の最終話です。

mGEDC0751.jpg
 「あ」の部分です。郭というよりは通路といったオモムキデス。

m002_20121208140745.jpg
 北風の強い冬場も「い」の郭に駐屯できるよう、この様な構造としたのではないかと推察します。

mGEDC0755.jpg
 「い」の郭です。

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 「い」の郭の入り口に立ち、弓のようにしなる塁壁を撮影しました。

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 周辺には石垣が散見されます。

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 「お」の郭の下の石垣だったと思います。

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 「お」の郭の上の方にも石垣があります。

mGEDC0770.jpg
 これもそうですね。防御の役に立っているとは思えない位置にあり、郭ともからんでいません。何のために積んだのか謎ですね。

mGEDC0771.jpg
 背後の尾根上から持越城を見おろしました。尾根を断ち切る堀切は無く、背後を必要に掘り切ることが多い信濃の城の中では異色の縄張りと言えそうです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「長野の城」
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Comment
楽しいですね!
らんまる様 丸馬出様 御来訪ありがとうございます。

 様々な可能性について想像を働かせて語り合うのは
楽しいですね。

 私事ですが・・・

 過日、武州でMさんと猪俣城に登ったのですが・・
 このツアーの後であったせいか、あれ?
 もう着いちゃったの?と感じました。

 感覚の変化とは面白いですね。
たしかに
養蚕の盛んだった地域柄
安易に畑なんて書いてしまいましたが
周りのお城との類似性から見る必要がありますねえ。
お城の遺跡だとすると、根小屋を
増築したような感じでしょうか。
比高600mを越えた世界
お疲れ様です。
持越城は、村上の小県・佐久方面への進出における補給基地として機能していたように思います。
桑畑の開墾による石積みという見方もありますが、東隣の飯綱城も石積みの遺構が残るので、往時のものかもしれません。

M様も申しておりましたが、比高600mを越える城攻めを体験すると信州の城は何処でも楽勝で行ける気がすると・・・(笑)
まさにその通りですが、病気の進行は酷くなるでしょう(爆)

そのうち信濃先方衆である我ら国人土豪のように、雪があっても攻め上がる境地に入るともはや救いようが無くなるので、お気を付け下され・・・・・。
後戻りの出来ない世界でございます。
Re: もしかすると
 丸馬出様 御来訪ありがとうございます。

 お、か、き、や、その右上の方の石垣は畑の土止め
だったのかもしれませんね。

 昔の方々は信じられないような高地に畑を耕して、
集落を形成していたんですよね。

 東京の桧原村には今も尾根上で土地を守っていらっ
しゃる方々が・・・

 今の常識で測ってはいけない価値観があるのだとお
もいます。

 最近廃村のホームページなども閲覧しております。

 小谷黒川城もすぐ北東に集落があったのではないか
と妄想しております。

 では・・・

> 戦時中はだいぶ開墾されていたようですので
> もしかすると、お、か、き のあたりは
> 畑だったかもしれませんが、
> 判別は難しそうですねえ
もしかすると
戦時中はだいぶ開墾されていたようですので
もしかすると、お、か、き のあたりは
畑だったかもしれませんが、
判別は難しそうですねえ
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