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信濃丸子城(3) ~ 徳川勢来襲

 丸子城の最終話です。

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 「C」の郭です。諏訪方面への道が見渡せます。

 「C」の郭は大岩の上にあり、本丸の背後から攻めよせる敵兵を大岩の上から攻撃することが出来ます。

*徳川家康は従属した豪族たちそれぞれに本領安堵と加増を約束しており、真田昌幸に与える領土はありませんでした。

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*徳川と北条の講和条件は「信濃は徳川、上野は北条」というものでした。

 徳川家康は昌幸に「上野沼田領を北条へ渡しなさい」と迫りました。

 昌幸は、「約束の新たな領地をもらえないばかりか、領地を削る? ふざけるな! 沼田は家康公から賜った土地にあらず、私が切り取った土地ぞ!」と、徳川から離反し、上杉景勝へ身を寄せます。

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 「B」の腰郭です。

*徳川勢7千は小諸を出立し、真田昌幸の居城上田城を囲みます。昌幸は巧みに徳川勢をおびき寄せると伏兵を駆使して、徳川軍を撃破します。

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 本郭に入りました。奥に土塁に囲まれた最終防御地点があります。

*徳川軍は上田城の攻略をあきらめましたが、諏訪方面からも真田領を脅かすことが出来るようにしようと、丸子城の攻略を企画します。

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 両軍の布陣イメージ図です。

 徳川軍が全軍を丸子攻めに進めると真田軍に背後を突かれる布陣になっています。

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 二ノ丸から、両軍が布陣した方面を撮影しました。

 川を挟んで左側に真田軍、右側に徳川軍がいたんですね。

 左側から中央へ伸びている尾根に、真田昌幸が指揮を振るった尾野山城があります。

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 このときの戦いを「丸子合戦」と言うそうです。

 徳川軍は諏訪氏に丸子城を攻めさせた。

 真田昌幸はその背後を突くべく出陣した。

 徳川配下の岡部氏が昌幸を迎撃した。昌幸は撤退したが、徳川軍は常に背後からのゲリラ戦に警戒しなければならず、戦線は膠着した。

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 土塁で囲まれた最終防御地点です。

*その頃、徳川家重臣石川数正と、徳川に味方していた小笠原貞慶が寝返り、豊臣秀吉に身を投じるという大事件が発生し、徳川軍は撤退しました。

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 尾野山城から見た丸子城です。白い矢印が二ノ丸、黒い矢印が本丸です。

 徳川軍が丸子城の大手に布陣すると、背後を真田の伏兵にさらすことにならざるを得ない。それが一目瞭然ですね。

 真田昌幸は、地形を生かした戦略をたてる天才だと私は思います。

 徳川軍に攻められて、落城しなかった堅城です。真田マニアの皆さんは是非、ご訪問ください。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「長野の城」
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Comment
Re: 面白い記事がかけました
丸馬出様 ご来訪ありがとうございます。

 おっしゃる通り、昌幸はこの時点で浦野川流域と依田川流域を支配下においています。
 だので、上田城の南西に布陣すると、背後を突かれ、挟み撃ちにされてしまいますね。

 徳川軍としては、千曲川の北東から、上田城へ迫るのが一番安全に見えますが・・・
 そこが、昌幸さんの罠である!
 同意です。
面白い記事がかけました
お世話になっております。
第一次上田合戦について
記事を書いてみました
宜しかったら
記事を読んでいただければと思います。
Re: 真田昌幸
室賀様 御来訪ありがとうございます。

 私は平山先生の「武田遺領をめぐる動乱と秀吉の野望」を摺り切れるほど読んで、付箋をつけまくっています。「天正壬午」も買いたくなってきました。
 昌幸大先生の凄いのは、沼田に北条、上田に徳川の大軍を引き受け、守りとおしたことですよね。
 全国的な権力の流れも充分に把握して、周辺勢力を利用して・・・

 直江さんは大田三楽斎に聞きに行ったのですか。勉強になります。

 室賀峠にいかれましたか。往時は上田から坂木に行くのには川沿いの道は無く、塩田平に出てから、室賀峠を越えて入ったそうですね。

 誤字の指摘、ありがとうございます。

 良いお年を!
Re: たのしみです
丸馬出様 御来訪ありがとうございます。

 様々な疲れが溜まり二日ほど寝込んでおりました。

 さて、丸子城は攻め難い城ですね。

 まず、三方を川に囲まれていますのでそれを渡るのが大変です。

 次にあの、長い細尾根を登ると余程の大軍でないと軍勢に途切
れが出てしまいます。

 川の南、東、北に兵士を配属し、狭い東側の平坦地から細尾根
を登り、本郭まで途切れなく兵士を配置するとしたら・・・

 どれだけの兵力が必要なのか・・・

 後詰がまったくない状態でしか、落城はあり得ませんね。

 さて、日向城には驚愕でした。

 私の住む関東では考えられない築城思想と驚愕の普請量!

 信濃はいろんな意味でワンダーランドです。
真田昌幸
小信玄と呼ばれる真田昌幸は人質として、子供の頃から現在の甲府の信玄の屋敷にいて、信玄に付きっきりで戦法を学んだのでしょうか?「天正壬午 平山優」を何回も読みました。真田昌幸の天正壬午の乱の判断力は凄すぎます・・・。


上杉謙信が夜、若い上杉景勝や直江兼続らを集めて自分だけ酒を飲んで、過去の合戦の話をしたそうです。直江兼続は亡き謙信の戦いぶりを太田資正に1590年の小田原合戦の最中に聞きにいったぐらいで・・・。直江兼続は「主にするならば謙信公か太田資正公」と言ったそうです。

今月は念願の室賀峠に行きました。雪道怖かったです。上田原で信玄に勝って、意気揚々と引き返したようで(笑)生まれて初めて行ったのに、初めて行った感じがしなかったです(笑)

先祖は村上義清方で上田原合戦に参加したようで、真田幸隆が信玄方で参加ですから、てっきり先祖は武田方と思い込んでいました。私の名前が隆幸なので(笑)武田信玄ファンの方すみません。

石川数正の漢字が変換ミスのようです。こっそり直しておいてください。
たのしみです
丸子城はいいお城で大好きです。
それと日向城いいですねえ
今から記事が楽しみです
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