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布引観音(1) ~ 詰城を持つ僧兵の軍事拠点

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成24年10月6日、お城仲間のMさんと釈尊寺・布引観音に行ってまいりました。
 長野県小諸市大久保にあります。

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 有名な観光地です。小諸インターを降りてから矢印表示もありますので迷うことはないと思われます。

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 信心のうすい老婆が川で布をさらしていたところ、牛が布を角にひっかけて移動してしまったため、老婆がそれを追いかけると善光寺にたどり着いたという伝説の地布引き観音です。

 伝説の観光地を何故城として取り上げるか・・・

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 戦国時代の武将楽厳寺入道雅方は釈尊寺末寺の僧侶であったということです。ということは釈尊寺が僧兵の軍事拠点であったと考えられます。

 楽厳寺雅方が武田信玄の攻撃を受けた際、釈尊寺が焼失した記録があることも、釈尊寺が軍事拠点であったことの傍証となります。

 釈尊寺は千曲川に面する断崖の中腹に位置し、千曲川からの通路は岩と岩の間の「天然の小口」を何度も通過しないとたどり着けず、堅固さを誇ります。更に、釈尊寺の北側の裏山には、詰城が用意されています。

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 千曲川べりから見上げた詰城です。こちら方面からは攻略不可能な地形であることがわかります。

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 地形の割れ目の様な、断崖と断崖に挟まれた狭い谷を登っていきます。

GEDC0245.jpg
 岩と岩に挟まれた天然の小口です。

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 ここも岩小口です。

GEDC0250_20121013054404.jpg
 更に岩小口です。左に曲がって、右に曲がって進んでいきます。

 堅固さが伝わりますでしょうか?

 「布引観音第2話・楽厳寺雅方防戦」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「長野の城」
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Comment
紛れも無く寺という名の要塞
らんまる様

 遠州遠征お疲れさまでした。

 さて、おっしゃる通り釈尊寺は、紛れも無く寺という名の要塞だと思います。

 その要塞の機能を順次広げていった過程で、北尾根遺構群が普請され、そして
楽厳寺城が普請されたのではないかと、勝手に思い込んでおります。

 さて、合戦屋シリーズの第3作が出たのですか?

 買わねば! 本屋にならんでいなかったら楽天ブックスにて発注
します。

 情報有難うございます。

> 真面目にこの寺を調べながら昨年登った記憶があります。
> 紛れも無く寺という名の要塞でございます。
> 延暦寺の殺戮を敢行した信長さんではないが「坊主はお経だけあげていればいいのに、武装して政事に口を出し、挙句の果てに女をかどわかして連れ込むなど言語道断」というセリフを思い起こします。
>
> 話は変わりますが、「翔る合戦屋」、もう読みましたか?
善光寺参りは必須です
真面目にこの寺を調べながら昨年登った記憶があります。
紛れも無く寺という名の要塞でございます。
延暦寺の殺戮を敢行した信長さんではないが「坊主はお経だけあげていればいいのに、武装して政事に口を出し、挙句の果てに女をかどわかして連れ込むなど言語道断」というセリフを思い起こします。

話は変わりますが、「翔る合戦屋」、もう読みましたか?
Re: おもしろい
丸馬出様 御来訪ありがとうございます。

 詰城のレポートは、「布引観音北尾根遺構群」として、明後日より
全4話、平面縄張り図、鳥瞰イメージ図付きで発信します。

 長年疑問に思っていたことが、遺構との遭遇で氷解したように感じ
ています。勿論、客観性の無い思いこみですが・・・

 ご推薦の品も今年中に踏査いたします。今から楽しみです。

> おもしろいネタですねえ
> 次回が楽しみです。
> 可能でしたら縄張り図もお願い致します(笑
おもしろい
おもしろいネタですねえ
次回が楽しみです。
可能でしたら縄張り図もお願い致します(笑
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