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寺尾城(3) ~ 低湿地に浮かぶ

 第1話  第2話 に続く、第3話です。

 今回は南側の遺構を確認してまいりました。

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 寺尾小学校の近くに石碑があります。「昭和の初めのころまで、寺尾から高階にかけて、広大な低湿地があり、新河岸川が増水すると、低湿地に水があふれ、人が住むことも、耕作をすることもできなかった。そこで、堤防や排水路を設けるなどして、水はけを良くしたところ、すべて耕作地とすることが出来た。その事業を忘れぬよう、石碑を残します。昭和10年」といった内容が記されていました。

DSCF1009.jpg
 寺尾貯水池です。

 右奥の住宅街が寺尾城の塁壁ラインです。

 現在寺尾城の南側には、寺尾貯水池があり、そこが低湿地であったろうことは推察していましたが、私が通っていた高階南小学校の高階あたりまで低湿地であったとは想像していませんでした。私が小学生のころにはかなり宅地化が進んでいましたので・・・

p001_20120929053115.jpg
 石碑の記述と、この日のフィールドワークをもとに、妄想図面をでっちあげました。

 台地続きは、西側の一部だけで、他は低湿地と川に囲まれた「低湿地に浮かぶ城」であったようです。

 この図面を見て、「寺尾」の地名が、「寺のある台地の尾っぽ」であることから名づけられたのではないかと感じました。

DSCF1010.jpg
 「A」の場所の写真です。左奥の林の向こう側に新河岸河が流れています。右側の家たちの向こう側が寺尾貯水池です。家の2階部分が地面近くに見えることで、その先が低くなっていることがわかります。段差は6メートル以上ありそうです。

DSCF1015.jpg
 「B」の場所には勝福寺があります。

DSCF1016.jpg
 寺尾山と記されていますね。

DSCF1014.jpg
 この場所の段差が判る写真です。実際の段差はこの下にも続いています。

DSCF1020.jpg
 「C」の場所には藤間諏訪神社があります。

DSCF1019.jpg
 諏訪神社地点の段差です。

DSCF1022.jpg
 古い地図の等高線に残っていた「E」の入江の入口付近です。この北側も踏査しましたが、真っ平らな畑が広がっており、農地改良事業によって、大規模に埋め立てられたのではないかと推察いたします。 

DSCF1024.jpg
 「D」の場所は、高階南小学校裏の段差です。

 小学生の私はここで、段差から転げ落ちて遊んでいました。

 また、この場所ではちょっと掘ると土器が多数出てきて、私はそれを割って遊んでいました。割らずにしかるべき大人へ提出していればよかったのではないかと、後悔しております。

DSCF1008.jpg
 新河岸川からの寺尾城遠景でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「埼玉の城」
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Comment
Re: やりましたねえ
丸馬出様

 ご来訪有り難うございます。

 遺構が素晴らしい城は、勿論、楽しいのですが、無名の城、解明されていない城を探求するのも、また、破壊された遺構を紐解いていくのも、また、別のたのしさがありますね。
 武蔵と上州の境近くにあったとされる広田大仏城は未だに場所が特定されておらず、地元の城マニアの興味の的となっています。
 さて、初期江戸城に挑戦されるとのこと。成果を楽しみにさせて頂きます。

 初期川越城と同じくらいの規模だったのでしょうか。

> 復元図すばらしいですね
> 往時の姿が目に浮かびます。
>
> 刺激を受けましたので埋め立て前の
> 江戸城を地図に書いてみようかと思っています。
> (等高線からおえそうですので)
やりましたねえ
復元図すばらしいですね
往時の姿が目に浮かびます。

刺激を受けましたので埋め立て前の
江戸城を地図に書いてみようかと思っています。
(等高線からおえそうですので)
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