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富谷城(3) ~ 陽動~富谷合戦

 富谷城の最終話です。

GEDC0032.jpg
 左が北二郭、右が本郭です。

*最終回は「関東古戦録」の記述をもとに、1584年に行われたとされる「富谷合戦」の解説をさせて頂きます。

GEDC0046.jpg
 本郭です。

*「関東古戦録」は江戸時代に創作された小説ですので、事実と噂と創作が混じっており、全てを信用できるものではありません。

 しかし、同じく江戸時代に創作された「甲陽軍艦」の記述をもとに、川中島合戦の流れを図説している書籍は世に溢れています。

 歴史ロマンと言うことで私もチャレンジしてみました。

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 桜川を挟んで北側が益子領で、益子氏は富谷城を構えていました。

 桜川の南側は笠間領で橋本城があります。

 前年の合戦では、益子勢が優勢でしたので、笠間氏は必勝の作戦を立てて臨みました。

 笠間勢140~150は、桜川を越えて益子領へ突出し、富谷城から見える場所まで行くと、農作業をしていた婦女子を拉致しました。

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 自国の婦女子が拉致され悲鳴を上げているのを見た富谷城からは、笠間勢を蹴散らし、婦女子を奪還しようと、笠間勢の3倍以上、500~600の軍勢を差し向けました。

 笠間勢は、かねてからの予定通り、益子勢を引きつけながら撤退を開始しました。

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 両軍が桜川にさしかかったのを契機に、笠間勢主力は反転します。すると東の山上と、西側で笠間の伏兵が鬨の声を上げました。

 益子勢は、ここで算を乱しては壊滅の憂き目になると、陣形を整えました。また、富谷城防衛をさせる為の一隊を離脱させました。

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 笠間の伏兵のうちの一隊は、直接、富谷城へ攻めかかりました。

 笠間の伏兵のうちの二隊は、益子勢主力の挟撃へ向かいました。

 笠間勢は三方向から、益子勢を攻め立てた為、益子勢は多数の死者を出して潰走しました。

 あえて少ない兵で突出し、敵をおびき寄せ、伏兵で殲滅する・・・陽動作戦が見事に成功しました。

 富谷城では、城門を堅く閉ざして防戦に努めた為、かろうじて落城をまぬがれました。

 以上が「関東古戦録」の記述です。

 別の資料では、この時富谷城が落城したとされています。

GEDC0053.jpg
 東側から見た富谷城の遠景でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「茨木の城」
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Comment
Re: 富谷城
 妙義の毛虫様 御来訪ありがとうございます。

 過日は、群馬の城レポートの誤りをご指摘いただきましてありがとうござ
いました。

 今回もご指摘頂き、感謝申し上げます。

 過去記事において「△□町の皆さん~もう少し整備してくださあ~い」的な
レポートが幾つかありました。

 城好きの立場からすれば切ない具申でも、世間一般からすればオタクのご
り押しと嫌悪される可能性も高いですね。

 以後はご指摘を胸に刻み、社会に迷惑をかけない発信を心がけて参りたい
と思います。

 不適切なレポートがあれば無視して終わりの風潮の中、この様にご指摘い
ただけることは、かけがえの無いことと感謝申し上げます。

 今後ともご指導を賜ることが出来れば恐悦至極にございます。

> 本当にお久しぶりです。桜川市の城は2007年に17城訪城してますが、いくつ位あるのでしょうかね。富谷城は1月に行ったのですが、本郭は篠笹が密集していて入れませんでした。
> 五遁さんの記述は判りやすく謙虚に書かれているので楽しく読ませて頂いています。
> 戦国の山城跡は本当にあったのか創作されたのかは別として、我々趣味に生きる者のなかでロマンを求めているのが良いと思われます。他人(公官庁や会社等)に対して押しつけるものではないと思います。創作なら歴史遺産でも何でもないないものを保存しろだとか元に戻せとか云うのは傲慢(自分の趣味は高尚と思いこむ)としてしか映りません。私個人としては土塁や掘切があっても、富農の館や畑、神社等の跡に後世の人が古文書(信憑性は疑問)を当てはめて小説として創り上げたと思っています。いずれにせよ自分たちの世界の中で楽しみましょう。この文に語弊がある様でしたら、すぐ削除して下さい。この冬は佐野市西部の山城を歩っています。
富谷城
本当にお久しぶりです。桜川市の城は2007年に17城訪城してますが、いくつ位あるのでしょうかね。富谷城は1月に行ったのですが、本郭は篠笹が密集していて入れませんでした。
五遁さんの記述は判りやすく謙虚に書かれているので楽しく読ませて頂いています。
戦国の山城跡は本当にあったのか創作されたのかは別として、我々趣味に生きる者のなかでロマンを求めているのが良いと思われます。他人(公官庁や会社等)に対して押しつけるものではないと思います。創作なら歴史遺産でも何でもないないものを保存しろだとか元に戻せとか云うのは傲慢(自分の趣味は高尚と思いこむ)としてしか映りません。私個人としては土塁や掘切があっても、富農の館や畑、神社等の跡に後世の人が古文書(信憑性は疑問)を当てはめて小説として創り上げたと思っています。いずれにせよ自分たちの世界の中で楽しみましょう。この文に語弊がある様でしたら、すぐ削除して下さい。この冬は佐野市西部の山城を歩っています。
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