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尾浦城(1) ~ 大宝寺氏本拠


 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成24年8月14日、尾浦城に行ってまいりました。

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 山形県鶴岡市大山にあります。
 公園として整備され、車で山上まで登ることができます。

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 三ノ丸と城外を隔てた堀の跡であると思われる道路です。

 三ノ丸やその周辺の写真を沢山撮影した記憶があるのですが・・・

 その直後にSDカード容量オーバーの表示が出て、車にカードを交換に戻ったりしましたので、多分、撮影したつもりがカードに記憶されなかったのではないかと思われます。大変残念です。

*尾浦城の創設は諸説あり不明であるとのことです。

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 縄張りの特色としてはやぐら台が上げられると思います。

 三ノ丸からニノ丸へ移動するには、やぐら台の脇の狭い通路を通過しなければなりませんし、二ノ丸へ侵入した攻城兵は、やぐら台と本丸からの挟撃に合います。

*この城が歴史の表舞台に出てくるのは、大宝寺(だいほうじ)氏が1532年に大宝寺城からこの尾浦城に本拠を移してからです。

 その頃大宝寺氏は、庄内平野の他の勢力に圧迫されていました。

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 三ノ丸南側の塁壁の写真が1枚ありました。

*大宝寺氏は、南の越後の本庄氏にすりより、滅亡を免れようとしました。

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 二ノ丸です。

*1568年、本庄氏が上杉謙信へ反旗を翻すと、大宝寺氏も立場上呼応せざるを得なくなりました。

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 二ノ丸の展望台から撮影しました。この沼は戦国時代には存在しなかったということですが・・・

*反乱は謙信によりあっけなく鎮圧され、大宝寺氏は上杉謙信へ人質を差し出して、降伏しました。

GEDC0002.jpg

 本丸と二ノ丸を隔てる堀には、復元木橋が設置されています。

*結果としてですが・・・

 大宝寺氏は、本庄氏の何十倍の勢力を持つ、上杉謙信の庇護下に置かれることにより、その立場を強力なものとしたのでした。

GEDC0003.jpg
 木橋から右側を撮影しました。

 庄内平野の敵対勢力は、上杉謙信の調停があると、従わざるを得ず、次々と大宝寺氏と和議を結びました。

GEDC0004.jpg
 木橋から左側を撮影しました。

 「尾浦城第2話・悪屋形の圧政」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「東北の城」

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