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狩川城(2) ~ 石高10倍

 狩川城の最終話です。

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 本郭から堀越しに、二郭を撮影しました。

*1600年、上杉景勝は関ヶ原合戦で西軍についたため、この地を没収されました。

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 北舘利長の銅像です。

*この地は最上義光に与えられました。

 最上義光は狩川城へ家臣の北楯利長を配しました。

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 本郭から見渡した庄内平野です。

*北館利長は領内を検分すると「もったいない」と感じたのでした。

 広い平地がありながら、水が行きとどかなかったり、逆に水はけが悪く、耕作に適さなかったり、そんな土地が多かったのです。

a002_20120919213243.jpg

*北楯利長は、用水路の開削工事を最上義光へ申請しました。

 義光の近臣たちは、上手くいかなければ、工事費が持ち出しになるだけだと反対しました。

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 「D」の郭は、「楯山ビュースポット」となっています。

*北舘利長は、失敗したら知行を返上すると最上義光へ迫った為、義光はその熱意に押されて、工事を許可したとの伝説が残っています。

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 西側の腰郭です。

*工事は難事を極めましたが、北館利長は私財をはたいて取り組みを続け、1612年には完成を見ました。

GEDC3538.jpg
 イメージ図「E」の場所です。

*荒れ地に水がいきわたり、また、湿地の水はけがよくなり、この地の石高はナント・・・ 10倍に増えたということです。

a004.jpg
 「E」の場所を、二郭と本郭の堀底から見たイメージ図です。二郭と本郭をつなぐ木橋を落とした後は、この場所が本郭へつながる侵入路となっていたようです。

*1622年、最上家が改易となり、この地は酒井氏の所領となりました。

 酒井忠勝は、北楯利長の功績を聞き及び、是非とも家臣に召抱えたいと要請しましたが、利長は二君に仕えるは不義として固辞しました。

 酒井忠勝の重ねての要請があったため、利長は代わりに息子をとりたててくれないかと願い、酒井忠勝はこれを受け入れたとのことです。

GEDC3547.jpg
 西側から見た狩川城の遠景でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「東北の城」
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Comment
Re: 良いお話でございます
らんまる様 御来訪ありがとうございます。

 騙し、騙され、正直者が馬鹿を見る戦国の世・・・

 北館さんのような人はきっと攻め滅ぼされていたのでしょうね。

 北館さんが治水に専念できたのは戦国の世が終わったから・・・

 それでも・・・

 戦国の世が終わってからも、農民を苦しめた領主も多かったこと
でしょうね。

> 血生臭い戦争の話よりも、民お百姓さんの為に一生をささげた武士の話は良いものですね。
> 後世に語り継がれる事を願って止みません。
良いお話でございます
血生臭い戦争の話よりも、民お百姓さんの為に一生をささげた武士の話は良いものですね。
後世に語り継がれる事を願って止みません。
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