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本堂城 ~ 藤田信吉検地

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成24年8月14日、本堂城に行ってまいりました。
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 秋田県横手市仙北郡美郷町本堂城回にあります。

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 この城に来て初めて、本堂氏なる豪族が存在したことを知りました。

*本堂氏は和賀氏の分流で、南北朝期にこの地に進出したのではないかと考えられています。

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 広大な平城であったようです。

*戦国時代の本堂氏は、1万石に届かない小身でありながら、周辺の強豪、戸沢氏、秋田氏、小野寺氏の間を上手に浮遊し続けました。

 その時に勢力が強い方につくのが、本堂氏の処世術であったようです。

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 本丸跡の周辺の僅かな窪みは堀跡の様です。

*1590年、豊臣秀吉が東北の諸豪族に小田原へ参陣するように命じると、本堂氏はこれに応じ、豊臣政権の大名として認められることとなりました。

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 幅10メートルはあろうかという堀が屈曲している写真です。

*一方、本家の和賀氏は伊達政宗に騙され、小田原へ参陣しなかった為、所領を没収されてしまいました。

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 発掘調査が行われています。

*秋田、山形の諸将は皆小田原へ参陣しているのに、岩手、宮城の武将に参陣しない者が多かったのは、情報量の違いではないでしょうか。日本海側は北前船の交易が盛んで、上方の物品と共に、上方の情報が多く入ってきていたと思われます。

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 城址碑です。

*豊臣秀吉の命でこの地を検地したのが、私の好きな「流浪の武将・藤田信吉」でした。
 
 藤田信吉は、関東管領上杉家重臣藤田氏の二男に生まれながら、北条家、武田家、越後上杉家、徳川家へと主を変えました。

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 地域性の高いモニュメントが木に立てかけてありました。

*関ヶ原の戦いで本堂氏は、西軍についた小野寺氏の所領へ攻め込んで、東軍としての立場を鮮明にしました。

 さて、関ヶ原の戦いで、佐竹氏は徳川家康に協力しなかった為、常陸を追われ、秋田へ減封されます。本堂氏ははじき出される形で、常陸に代え地を与えられ、幕末まで存続しました。

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 北側からの遠景でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「東北の城」
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Comment
Re: 最高の晴れの中11ヶ所回りました
室賀様 御来訪ありがとうございます。

 車中泊お疲れ様です。

 古戦場を堪能されたようですね。

 箕輪城は何度訪れても感動しますよね。

 八幡平陣城への見解、有難うございます。

 更にスキー場とは・・・

 体力に頭が下がります。では!

> 前日、道の駅に車中泊。朝五時に起きて、まず神流川の合戦巡りしました。
>
> お寺の総門に鉄砲玉・矢の跡残っており感動しました。鉄砲跡を見たのは、残和歌山県?根来寺以来です・・・。
>
> 胴塚・首塚・お寺から滝川一益本陣が遠かったです。
>
> 関が原の家康の本陣は激戦地の中でしたから、滝川一益本陣はかなり遠く感じました。
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> 合戦は真夏でしたから、草は多かったでしょう・・・。
>
> 内藤塚見学後に箕輪城に寄り(5回目)ましたら、長野氏に詳しい地元の60代男性がいて、長野氏の知識がより深くなりました。
>
> 箕輪城の支城の図を見せて頂き、30弱もあったとは・・・。スキーの行き帰りに通るので、武田軍VS長野氏の古戦場は
> 今度行きたいと思います。何もないそうですが・・・。
>
> 鷹留・後閑城はネット情報通りでした・・・。
>
> 武蔵の五遁さんの説の通り、八幡首塚は信玄公の陣城に思えませんでした。
>
> 大道寺さんのお墓は以前、偶然1回通った道でした・・・。
>
> 最高の晴れの中11ヶ所回りました。今は信州のスキー場です(笑)
最高の晴れの中11ヶ所回りました
前日、道の駅に車中泊。朝五時に起きて、まず神流川の合戦巡りしました。

お寺の総門に鉄砲玉・矢の跡残っており感動しました。鉄砲跡を見たのは、残和歌山県?根来寺以来です・・・。

胴塚・首塚・お寺から滝川一益本陣が遠かったです。

関が原の家康の本陣は激戦地の中でしたから、滝川一益本陣はかなり遠く感じました。

合戦は真夏でしたから、草は多かったでしょう・・・。

内藤塚見学後に箕輪城に寄り(5回目)ましたら、長野氏に詳しい地元の60代男性がいて、長野氏の知識がより深くなりました。

箕輪城の支城の図を見せて頂き、30弱もあったとは・・・。スキーの行き帰りに通るので、武田軍VS長野氏の古戦場は
今度行きたいと思います。何もないそうですが・・・。

鷹留・後閑城はネット情報通りでした・・・。

武蔵の五遁さんの説の通り、八幡首塚は信玄公の陣城に思えませんでした。

大道寺さんのお墓は以前、偶然1回通った道でした・・・。

最高の晴れの中11ヶ所回りました。今は信州のスキー場です(笑)
Re: 藤田信吉と・・・
室賀様 御来訪ありがとうございます。

 歴史ある家系にお生まれになりうらやましい限りです。

 私の実家は何の伝承もありません(笑)

 滝川一益さんの痕跡をたどる旅ですか?

 お土産話を楽しみにさせて頂きます。
藤田信吉と・・・
父方は江戸時代初期から、川中島古戦場の裏に住み、農家をしております。川中島合戦には上杉謙信の家来として参加し、活躍したと伝わっております。
半年前に父に「越後出身というが具体的にどこなんだ?」と聞いたら、「新発田だ!」と父が答えました。

新発田と聞いて全て悟りました。

「新発田重家の乱」に新発田方として参戦か、その前に離脱して「思い出の地 川中島古戦場」の近くに一家で移動し、帰農したのでしょう・・・。

藤田信吉が出てきたので・・・。ウモさんの新発田重家の乱 http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Satellite/Shigeie/index.htm

ちなみに、平成4年に初めてお会いした「埼玉県の同じ市内の12年上男性の会田さん」は、何故か初めて会った気がしませんでした。

平成22年のある時「会田さんは先祖はどこ出身ですか?」と聞いたら、信州の安曇野の、今は合併したが「松本市会田だ」と言っていました。

会田さんも「先祖が川中島合戦に武田方として参加したが、武田滅亡後に会田をでなければならなくなった」そう。

また、松本市会田に会田姓は今はいないかも?と言っていました。

「お互いの先祖が川中島合戦に参加したのですね!」と言ったら驚いていました。昔は3世代4世代一緒に住んだから、こういう話は伝わります。

私の父方も母方も先祖の墓が川中島古戦場の近くで、私は年に数回お墓参りしています。

では、神流川古戦場から松井田まで行ってまいります。
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