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羽後大森城(2) ~ 女の石つぶて

 大森城の最終話です。

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 「B」の郭です。

 秀吉が亡くなり、関ヶ原の戦いが発生すると小野寺氏は西軍につきました。

 宿敵最上氏が東軍だったからです。

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*しかし、上方の戦いでは東軍が勝利します。周りの大名たちは思います。
 
 「西軍についた小野寺を傷めつければ、徳川家康の心証が良くなり、本領安堵につながるだろう、上手くいけば加増だってあるかもしれない!」

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 本丸の脇には駐車場があります。

*特に秋田の大名たちは、始め東軍として山形城に詰めていましたが、家康が西へ向かうと、かってに帰領して、様子見を決め込んでいましたから、下手をすれば取りつぶしもあり得ましたので必死でした。

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 車椅子仕様のスロープもあります。

*火事場泥棒の烏合の衆1万人は、大森城を取り囲みます。大森の守兵は500とも800とも言われています。1600年10月のことでした。

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 大森城からみたフモトの景色です。ここに1万の兵が満ちていたのですね。

*攻城兵が東側から攻めよせると、守兵は東側への防御へまわり、本丸が手薄になりました。

 そこへ別働隊が西側から本丸へ攻め登ろうとすると、本丸に残された女性たちが石つぶてを投げつけて抵抗しました。攻め手は20余人の死者を出し、負傷者も多かったため撤退したということです。秋田の女性は強いですね。

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 本丸に入りました。

*大森城の抵抗は頑強で、2カ月経っても落城の気配は見えません。

 雪も降り年の瀬も迫ったことから、包囲軍は総攻撃を仕掛けます。この時は城主小野寺康道自らが先頭に立ち、最上兵7~8人をたちまちなぎ倒しました。包囲軍は小野寺康道の武勇に震え上がり、兵を引いたということです。

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 本丸には神社が鎮座しています。

*小野寺康道は火事場泥棒の烏合の衆から大森城を守り通しましたが、翌1601年「天下を豊臣家から泥棒した徳川家康」の裁定で小野寺氏は所領没収となり、結局、城を開け渡すこととなったのでした。

 現状の構造は、とても2ヶ月間の籠城に耐ええるものとは思えません。公園化により、かなり大規模な改変を受けているようです。

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 フモトから見上げた大森城(中央のピーク)の遠景でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「東北の城」
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