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羽後大森城(1) ~ 上杉景勝入城

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成24年8月13日、大森城に行ってまいりました。
 秋田県横手市大森にあります。

p009.jpg
 朝の5時30分に、城のふもとのコンビニで「どんべえ」をすすってから車で登りました。

 大森リゾート村の看板がありますので、それに従って山を登りましょう。球場がありますので、そのわきの道を登っていくとたどり着きます。駐車城もトイレも完備されています。

GEDC3401.jpg
 二ノ丸です。

*現地解説版によると、文明年間(1469年~1487年)、小野寺家当主、小野寺泰道の四子、小野寺長門守道高が築いたということです。

 その頃の小野寺氏の本拠は、南方約1里にある沼館城でした。沼館城は平城であった為、北の守りとして築城したのだと思われます。

 文明年間といえば、関東では古河公方、山内上杉、扇谷上杉が抗争を続けていた頃ですね。

p010.jpg
 イメージ図を作成しました。主要部のみスケッチしました。

*戦国後期の天正年間に入ると、小野寺家当主の弟、小野寺康道が城主となったということです。

GEDC3400.jpg
 写真の奥のポコっと出ている部分が「D]です。

GEDC3402.jpg
 本来の塁壁なのか、公園化による段々なのか不明ですが、段々が延々と続いています。

*豊臣秀吉は、小田原北条氏を滅ぼし、天下を手に入れると、小野寺氏はそれに従いました。秀吉の命を受けた上杉景勝が大森城へ入城し、周辺の検地をおこないました。

 農民にとって検地は、殿さまに持っていかれるコメの割合が大きく増すことを意味していました。つまり、自分の食いぶちが減るのです。そこで一揆が発生しました。

GEDC3399.jpg
 これも段々の写真です。

*小野寺氏は、上杉景勝と協力して、一揆を鎮圧し、検地は無事終了しました。上杉景勝は大森城を小野寺康道へ返却して、越後へ戻りました。

 しかし、一揆発生の事実は秀吉の心情を害したようで、罰として小野寺氏の所領には「太閤蔵入地」つまり、税収はすべて秀吉の手に渡る土地が設定され、小野寺氏の収入は大きく減少してしまいました。

GEDC3398.jpg
 「C」の郭の写真です。

 「大森城第2話・女の石つぶて」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「東北の城」
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