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沼柵(1) ~ 後三年の役を守り抜く

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成24年8月13日、沼柵に行ってまいりました。

沼柵アク

 秋田県横手市雄物川町沼館にあります。
 市立雄物川北小学校と、それに隣接する蔵光院、そしてその東側周辺が城域であったようです。

rGEDC3370.jpg
八幡神社に残存土塁があるということです。

rGEDC3371.jpg
 この土塁ですね。

*平安時代、東北一円を支配していた清原氏に内紛が生じます。

 清原氏には2台巨頭がいました。

 一人は清原家衡です。家衡は清原家の血を継ぐ者でした。

 もう一人は清原清衡です。清衡には清原の血は流れていません。平姓藤原氏の母と、阿部氏の父を持っていました。阿部氏は清原氏に滅ぼされました。清衡の父は清原氏に殺されました。清原氏のボスが清衡の母を妻にしたため、清衡は清原氏に属することになったのです。

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 現地掲載図面を参考にイメージ図を作成しました。残存度は低く、ふんだんに妄想を働かせてありますので、雰囲気だけ感じてください。

 上の写真の土塁は、図の左側の「残存」と書いてある部分です。

*家衡は、清原の血が流れていない清衡が、清原氏として大きな所領を得ていることが許せませんでした。

rGEDC3374.jpg
 雄物川北小学校前には、後三年の役の古戦場である旨の表示があります。

*1086年、家衡は、清衡の館「豊田館」を襲撃し、その妻子を殺してしまいます。窮した清衡は「陸奥守」として同地に赴任していた源義家を味方につけ、家衡領へ攻めよせます。
 家衡は、一族と共にこの沼柵へ籠りました。

rGEDC3388.jpg
 西側から三郭を見上げました。手前が低湿地で、充分な段差があることが判ります。

*沼柵は周辺を低湿地に囲まれた天然の要害でした。

 源義家軍は、沼柵を攻めあぐみ、季節は冬を迎えます。源義家軍は充分な防寒具と充分な兵糧を調達せぬまま、攻め入ったので、寒さと飢えに苦しみました。

 冷たくなりかけた配下を、源義家自身が抱いて温めたとの伝説が残っています。

 これ以上の城攻めは無理であると判断した源義家は一旦、兵を引き揚げます。

rGEDC3386.jpg
 南西方向から二郭を見上げました。沼柵が充分な要害性を持った城であったことが伝わる写真ですね。自画自賛ですみません。でも、東北人レジスタンスの雰囲気が感じられて本当に感動しました。

*沼柵を守り抜いた家衡へ、親戚がこう勧めました。「敵は来春また攻めよせてくるだろう。近くにある金沢柵の方が山城であり、要害性が高い。金沢柵へ移ってはいかがか」

 家衡は勧めに従い、金沢柵に移りましたが、落城し、打ち取られてしまいます。
 沼柵で抗戦を続けていたら歴史は変わっていたかもしれませんね。

rGEDC3383.jpg
 本郭の南側です。

 「沼柵第2話・20万石の城」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「東北の城」
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