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畑谷城(2) ~ 前田慶次布陣

 畑谷城の第2話です。

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 土塁上から堀の屈曲部分を撮影しました。

*現地販売冊子によりますと。畑谷城守将江口光清は城の北側の川をせき止め水掘として、上杉軍の来襲に備えたということです。

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 上の写真と同じ場所から、峠城側の堀と土塁を撮影しました。

*上杉軍は2万。畑谷城の守兵は500。万に一つも勝てる可能性の無い戦い。上杉勢をどれだけ消耗させ得るかのみに価値を見出す戦いです。

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*9月12日には畑谷城を上杉軍が包囲し、前田慶次は峠城の北東の「尖り森」に布陣したということです。

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 左が山城部分。中央のへこみが峠城部分。右側の山が前田慶次が布陣した「尖り森」です。

*前田慶次といえば、太閤秀吉から「天下御免の傾き者」として認められた武将です。前田家を出奔し、この時は上杉家に仕官していました。

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 左側が峠城の土塁で奥が「尖り森」方向です。堀が屈曲しています。

*前田慶次は、上杉家でも傾き(かぶき)続け、「ひょっとこ斎」と名乗ったそうです。

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 右が「尖り森」方面で、左が峠城です。前田慶次はこの堀を越えて攻め込んだことと推察されます。

*伝説によると・・・・

 あるとき前田慶次は、「大ふへん者」の旗指物を背負って現れました。

 上杉家の古参から「謙信公以来武辺(ぶへん)の家と名高い上杉家で、新参の身で大武辺者(だいぶへんもの)と自称するとは何事ぞ」と反発がありました。

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 堀底に若干の盛り上がりがあります。土橋です。

*前田慶次いわく・・・

 「私は、浪人することが長く、妻もいない為、なにかと不便なことばかりなのです。この旗指物は大不便者(だいふべんもの)と読むのです」

 反発した上杉の古参達は、ニノ句が継げなかったということです。

GEDC3256.jpg
 土橋の先の土塁は若干へこんでおり、小口となっています。

 「畑谷城第3話・特異な縄張り」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「東北の城」
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