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長谷堂城(2) ~ 後詰粉砕と刈田挑発

 長谷堂城の第2話です。

GEDC3309.jpg
 「土塁」の表示があります。

*長谷堂城を囲んだ上杉勢は2万。長谷堂城に籠った最上勢は1千と言われています。
 (3千、5千という説もあります。しかし、良く考えてみてください。最上24万石の動員兵力を計算すると総勢で8~9千です。その半分以上の5千が支城である長谷堂城に籠るわけがありません。最上勢は他の城にも兵力を分散していたので、長谷堂城の籠城兵は1千と考えるのが妥当な線だと思います。)

GEDC3306.jpg
 カワイイ土塁ですね。

*通常、城攻めには3倍の兵力が必要とされますが、長谷堂城攻防戦の際は20倍の兵力差でした。

p003.jpg
 現地表示に敬意を示して、イメージ図に「土塁」を書き込みました。

*長谷堂城が攻囲された翌日の9月15日、このままでは長谷堂城の落城は必至であると考えた山形城の最上義光は援軍を差し向けます。包囲された城への援軍を「後詰」(ごづめ)と言います。

z001.jpg
*対する上杉軍は須川を天然の堀として迎撃します。数に勝る上杉勢が最上勢を圧倒し、最上勢は300の死者を出して、山形城へ撤退しました。後詰軍は撃破されたのです。

GEDC3312.jpg
 「A」の郭は200人くらい籠れる広さがあります。

*援軍が来なければ落城は必至。暗いムードが長谷堂城内を支配します。

 長谷堂城将志村光安は、城内の士気を高めるため上杉勢へ夜襲を仕掛けることとしました。

 翌9月16日未明、夜陰にまぎれて主将志村勢と副将鮭延勢が長谷堂城を出撃。後詰の最上勢を撃破して、戦勝に酔い熟睡していた上杉軍は深夜の奇襲を受け、大混乱に陥ります。

 上杉軍は250名の死者を出してしまいます。

GEDC3310.jpg
 「A」の郭から本丸を見上げました。段々になっていますね。

 長谷堂城は、小口の工夫などは見られないのですが、とにかく塁壁が高く、塁壁主体型の城ですね。

*翌9月17日、直江兼続は総攻撃を命じます。しかし、深田に足を取られて停滞する上杉勢を、最上勢は鉄砲で攻撃。上杉勢は多大の被害を出して撤退します。

GEDC3315.jpg
 イメージ図の裏側にも郭があります。柵が復元されて戦国ムードを盛り上げていますね。

*長谷堂城が思ったより攻めにくいことを知った直江兼続は城の周囲の田の稲を刈り取らせます「刈田狼藉」です。

「手塩にかけて育てた稲を刈り取られては、今年の冬の食料に困る。刈田狼藉を阻止しなければ」と、長谷堂城兵が城を出てくればしめたものだと考えたのですが、城将志村光安は挑発には乗りませんでした。

GEDC3316.jpg
 柵付きの郭は100名くらいが籠れる広さがあります。

 「長谷堂城第3話・前田慶次殿軍伝説!」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「東北の城」
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