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神指城(3) ~ 1年で破却

 神指城の最終話です。

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 本丸の西側です。このあたりに大天守が復元される計画があるそうです。

*神指城は、1600年6月に完成を見ましたが、その頃徳川家康が上杉景勝に逆心ありとして、兵を向けます。

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 この図に、大天守予定地と記載されています。

*しかし、石田三成が大阪で諸大名の人質を接収し、徳川家康の非を鳴らす文面をまき散らすと、徳川家康は兵を一旦引きます。

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 大天守予定地からは「い」の二ノ丸残存土塁が見えます。

 他の残存遺構を探して移動します。

*やがて徳川家康が西へ向かったのを見届けると、上杉景勝は兵を最上領へ差し向け、領土の拡大を図ります。

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 「う」の二ノ丸残存土塁です。

*しかし、最上氏を屈服させる直前に、関ヶ原での西軍の敗報が届き、上杉軍は撤退をします。

 直後から上杉家は八方手を尽くして、徳川家康との和睦を図ります。

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 「え」の二ノ丸残存土塁です。

*上杉家が120万石から30万石へと減封の条件で和議が整い、上杉景勝が上洛したのは翌年の7月でした。

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 「え」を別角度から撮影しました。往時は左側が水掘だったのですね。

*家康に臣下の礼を取り、プライドの代償として家名存続を果たした上杉景勝は、神指城を破却して会津を去りました。神指城の存続は僅か1年強でした。

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 なにやら看板があります。

*代わりに会津には蒲生家が入りました。蒲生家が「反逆者景勝の城」を使用するはずは無く、神指城は捨て置かれました。

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 戊辰戦争の際、新鮮組がこの地を拠点としたが、新政府軍の攻撃に合い陥落したとのことです。

*蒲生家に代わって加藤家が入ると、会津若松城増築の為、神指城の石垣は持ち去られ、あとは農民の耕作するに任されたのでした。

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 土塁上にはお堂が建っています。土塁上というかこれは郭のレベルの広さです。上州の山城の本丸がいくつも入る規模です。

*僅か1年の為に、労役を強要された会津の住人にとって、上杉家は迷惑な行きずりの太守であったことでしょう。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「東北の城」
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