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津川城(1) ~ 会津・越後国境の要

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成24年8月11日、お城仲間のMさんと津川城に行ってまいりました。

GEDC3021.jpg
 新潟県東蒲原郡阿賀町津川にあります。
 磐越自動車道を津川インターを降りてまっすぐ進むとトンネルの手前左側に麒麟山公園駐車場があります。
 小さく津川城跡とも書いてあります。

x001_20120825083723.jpg
 南西方向から見たイメージ図です。

 「図説・中世の越後」掲載図面から起こしました。

 この城の面白いところは川沿いに防御構造が続いていることですね。

GEDC3022.jpg
 駐車場から数十秒で「鶴ヶ沼」があります。

 天然の堀の役割をしていたと思われます。

*以下、「図説・中世の越後」の記述を元にレポートします。

 1192年の鎌倉幕府成立時、源頼朝は会津に芦名氏を配しました。

 芦名氏は、一族の金上氏をこの地に配しました。

GEDC3023.jpg
 更に進むと「門跡」の表示があります。表示の右側は巨大土塁です。

 イメージ図では「一ノ木戸」にあたります。

*1252年、金上盛弘が津川城を築きました。当時は狐戻城と呼ばれていたそうです。

 現在の本丸のみを城域とする簡素な造りであったと想像されます。

GEDC3025.jpg
 土塁を、先ほどの写真の裏側から撮影しました。

 藪で判りにくいのですが、この土塁は屈曲し、横矢をかけることが出来るようになっています。

 この土塁の普請はかなり後期と思われます。

*津川城は、会津と越後の国境近くに位置し、越後勢の侵入に備える重要な役割を負いました。

 また、越後に内乱が生じると、芦名氏は津川城を拠点に越後へ侵入し、越後への影響力を確保しました。

GEDC3027.jpg
 「一ノ木戸」を抜けた場所は「侍屋敷」であったそうです。

*金上氏の領地は3万8千石であったといわれ、芦名氏の家臣の中では一番の分限であったということです。

GEDC3026.jpg
 「侍屋敷」はこの様に、削平されています。門番を務めた方のお住まいだったのでしょうか?

 「津川城第2話・水運の要衝」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「新潟の城」
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