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皆川城(4) ~ 対陣100日

 皆川城の第4話です。

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 「桜平」からくねくね道を登っていきます。

*北条氏は徳川氏と和睦したことにより、西への備えが不要となり、栃木県の攻略に専念できるようになりました。

 佐竹・宇都宮連合は、存亡の危機に立たされ、起死回生の手を討ちます。

 群馬県の太田由良氏と足利長尾氏を、同盟に引き入れ、北条氏から寝返らせたのです。

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 くねくねの先の「い」の郭の小口です。

*北条氏はまず本体である宇都宮・佐竹連合を叩こうと、栃木県の今で言うと佐野藤岡インター近くに進撃しました。宇都宮・佐竹連合も出陣し、皆川氏は連合軍に属しました。

 1584年、沼尻の戦いと呼ばれる対陣です。

 対陣は2カ月に及び、両者は一旦和解しました。

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*はしごを外された、由良と足利に北条は攻めよせ、これを屈服させます。

 そして、連合軍のふりをしていた壬生氏が北条陣営であることをカミングアウトし、皆川領の東側は北条の領域となりました。

 翌年、皆川領の西と南に位置する佐野氏の当主が亡くなり、佐野家は北条より養子を迎えました。

 これらの流れで、皆川領は北条陣営の中に孤立する羽目となったのでした。

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 「い」の郭です。

*北条氏はその年のうちに皆川領へ、大軍を派遣します。

 「関東古戦録」によると兵士は、鉢形、岩槻、八王子、江戸、葛西から動員されたとあり、万を超える軍勢であったと推察されます。

 皆川氏の動員兵力は多く見積もっても3~400百です。

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 「い」の郭には、水の手があります。

*皆川氏は頑強に抵抗し、対陣は100日にも及びましたが、多勢に無勢で、これ以上の抵抗は無理と判断した皆川広照は、北条に屈服することとなりました。粟野城など皆川領の北西部は、北条親族衆となった佐野氏へ召し上げられてしまいました。

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 「あ」の郭への登り道です。

*皆川広照はこの屈辱を忘れはしませんでした。

 「皆川城第5話・決死の脱出」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「栃木の城」
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Comment
購入されましたか
らんまる様

 東海方面への御出陣を決意されてそうでなによりです。良い縄張りの城がいっぱいですよ。

 さて、この本で勉強になったのは、徳川家康が甲斐、信濃に軍をすすめたのは、「織田政権
東海方面軍団長」の立場として・・・だったということです。
 その後、秀吉が台頭し、上杉景勝が秀吉に忍従するに至り、秀吉は景勝を「東国取り次ぎ」に
任じます。このことが関東の諸勢力に大きな影響を与えます・・・といったことが、勉強できて
きました。

 虚空蔵ツアーのお声がかりを楽しみに待っております。

> 天正壬午の乱って、信濃だけでなく周辺の諸国でも代理戦争が勃発していたんですねー、勉強になりました。
>
> 「武田遺領をめぐる動乱と秀吉の野望」という書籍ですが、交友のある皆さまが常に話題にしておられるので、小生も遅ればせながら購入しました・・(汗)
> これでお仲間に入れるかしら・・・・・(笑)
お疲れ様です
天正壬午の乱って、信濃だけでなく周辺の諸国でも代理戦争が勃発していたんですねー、勉強になりました。

「武田遺領をめぐる動乱と秀吉の野望」という書籍ですが、交友のある皆さまが常に話題にしておられるので、小生も遅ればせながら購入しました・・(汗)
これでお仲間に入れるかしら・・・・・(笑)
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