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下野箕輪城 ~ 屈曲区切り平方館

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成24年7月21日、お城仲間のMさんと箕輪城に行ってまいりました。

a箕輪アク

 栃木県下野市箕輪、磐裂根裂神社の境内にあります。

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 箕輪城の表示からは河岸段丘を登る階段が伸びています。行ってみましょう!

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 登り切ると神社があります。二郭の様です。

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 北側の城外から、二郭方向を撮影しました。右側に土塁が、手前に堀があります。

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 堀は屈曲しながら西へと伸びています。

*宇都宮市教育委員会発行「宇都宮城のあゆみ」には、南北朝時代のこの城における戦闘記録が記されています。

 箕輪城は北朝派宇都宮氏配下の兵士が守っていた。1339年、南朝派の北畠親房の指示を受けた春日顕国の大軍が箕輪城に押し寄せた為、守兵は退散したとのことです。

 河岸段丘上にあるものの、段差は低く、郭も狭い為、守兵の判断はやむを得ないものであったことでしょう。

GEDC2935.jpg
 西側の堀と土塁です。

GEDC2930.jpg

*現地解説版には、1462年の築城とされています。

 南北朝の争いの後、放置されてたものを、再興したのでしょうか?

 1462年と言えば、古河公方と関東管領が争った享徳の乱の時期ですね。同時期にすぐ近くで壬生城が築城されていますので、戦線がこの地域まで押しこまれてきたことに対応してのことであると思われます。

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 西側から見たイメージ図です。

 河岸段丘を利用した単純方形館です。

 特筆すべきは、方形の内部が屈曲横堀により、区分されていることです。

 方形館の内部を直線的に区分する遺構は良くあるのですが、箕輪城の遺構は珍しい遺構でありましょう。

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 西小口です。

*箕輪城は、壬生氏の壬生城南東約4キロに位置するため、戦国時代は壬生氏の支城であったと推察されます。

GEDC2942.jpg
 本郭内部から、南側の土塁を撮影しました。

*現地解説版には、「1558年5月に落城した為、当地では5月の節句に鯉のぼりをあげない習慣がある。」とのことです。

 1558年には、上杉謙信が箕輪城北東約5キロの多功城に攻めよせていますので、箕輪城は行きがけの駄賃にされたのでしょう。

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 これが、内部を仕切る屈曲横堀です。私は気がつかなかったのですが、同行のMさんが発見して教えてくださいました。Mさん、有難うございます。

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 鋭い遺構があるわけではありませんが、藪ではありませんし、珍しい区切りもありますので、まわりの城への行きがけの駄賃に寄ってみてはいかがでしょうか?

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「栃木の城」
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Comment
そうなんですよ!
丸馬出しさん 御来訪ありがとうございます。

 そうなんですよ!

 とても珍しいとおもいますね。

 おっしゃる通り、戦国期以降にちょこっと
いじったのでしょうね。

> 方形館を(戦国期?)改造したような
> 屈曲した堀がおもしろいですねえ
おもしろいですねえ
方形館を(戦国期?)改造したような
屈曲した堀がおもしろいですねえ
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